オリンパスの粉飾決算

   

オリンパスは懐かしい会社である。「オリンパスの顕微鏡。オリンパスペンのカメラ。」買ってもらい宝物だった。良いイメージの会社だと思っていた。なんと、投機的な取引に手を出して、大きな損出を出していたらしい。駒澤大学も曹洞宗の大学でありながら、投機に手を出し大きな穴をあけたと言うので、びっくりした。人間はどうにもこうにもバクチが好きな生き物だ。賭け事は嫌いだ。嫌いの私の方が少数派なのだろう。将棋は好きだ。勝負事も嫌いな方ではない。しかし、それに金銭を掛けてやると言うのは、耐え難いものを感じる性格である。もちろんそれが偉いとか、倫理的に正しいとかいうつもりは全くない。風呂屋の話題のほとんどが、競輪、競馬、パチンコ、株、の話である。これはびっくりするほどの事だ。将棋でもかけなければ面白くない、と言う人が居る。ゴルフなどでも、帰りの食事代だけでもかけなければ面白くないと言う人が居る。

人間の本質にかかわる深い部分に「のるかそるか」のスリルに刺激される本能がある。狩猟して生きている時代に育てた、感覚なのだろうか。漁師の人の感覚は近そうだ。それは、資本主義と言う経済に滑り込んでいて、儲けることを善とする思想が20世紀蔓延した。歴史的に見れば、ヨブ記のヨブのように、ベニスの商人のように、利益を上げると言うことには、何か後ろめたいものが潜んでいる。お金がお金を生むようなことを罪悪とした宗教もある。儒教では、この辺の倫理観はとても厳しく、江戸時代の武士の家計簿のように、節約を重んじ、「出るを惜しんで、入るを増やそうとは出来ない、しない。」商人の利潤を追う側面を下に見た倫理哲学。その倫理が厳しくあればある程、人間の本質にやどる、一儲けしたいという下心のすさましさを感じる。オリンパスという企業は、医療用カメラでは、世界一の会社らしい。人間の命の為に貢献しながら、投機に踊らされる。このギャップが資本主義と言えば言える。

問題となっているのは、損出を隠したことで、投機に手を出したことではない。必死に胃カメラを開発する技術者の熱意と、商品取引で当ててやろうとする意識は、尊さが違うもののはずだ。もう一度違うということを、日本人だけでも大切にしたい。たしかに、お金と言うものになった時には、同じになる。フーテンの寅さんが、マドンナから、「手に油して、額に汗する仕事を尊い」と言われて、天ぷら屋に勤めるシーンが忘れられない。日本国も、円高と言う、投機にさらされて、ふらふらになっている。10%円が高くなることにより、真面目に労働した企業の結果のすべてが、どこかに消えてしまう社会。この、投機に手を出そうと言うのが、日本政府に見える。農業のような間尺に合わないものはいらない。投機的な神経が働いているように見える。しかし、国民の中に残る、私のような古い倫理観を引きずっている人間には、やはり額に汗しである。

オリンパスの企業不正を告発したのは、外国人の辞めさせられた社長である。10月14日、オリンパスの菊川剛会長は記者会見で、「日常の業務で組織を無視した指示があり、グループ全体が混乱していた」ことを理由に、同社取締役会がマイケル・ウッドフォード社長を解任し、菊川氏が社長職を兼務することを発表。今年4月の社長就任からわずか半年のスピード解任となった。実のところ、菊川社長は不正をしながら、一億円を越える役員報酬をもらっていた。その悪事を感ずいた社長を首にしたのが実態だろう。犯罪者になったホリエモンと同列の生き方だ。実は、企業人の多くがホリエモンだったのだ。何でもポケットから、お金をひねり出す事が目標だったのだ。バブルがその悪事を浮かび上がらせたにすぎない。経済の仕組みが、これでいいのかどうか。ここを考えるべきだ。

昨日の自給作業:大豆の収穫、クン炭の袋詰め1時間 累計時間:4時間

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