「エネルギーの自給自足を考えよう」1
小田原市まちづくり学校の第1講座として「エネルギーの自給自足を考えよう」が開催された。3回のシリーズである。昨日は第1回があった。今日は第2回がある。環境エネルギー政策研究所から2人の講師が見えて話をされた。満員になるかと思っていたが、意外に集まりは悪く、市民は20人位ではなかったか。市役所の職員が結構いた。まずは松原弘直氏が「地域主体の自然エネルギー事業への取り組み」~日本国内の事例紹介~と言うことで45分間早口で話された。そう目新しい紹介があると言うのではなく、ネットでだいたい分かっている話である。「グリン電力証書とグリン熱証書」の話があった。これがとても怪しく聞こえた。こういうやり方は、自給自足の精神とは違うのではないか。もしかすると原子力村と同じ、自然エネルギー村を作ろうと言うような話に聞こえた。この点は今後の展開でも要注意。
CO2の排出権取引と似たようなものらしい。自分がやれないので、開発途上国から削減したと言う権利を買い取る。それで帳尻を合わせようと言うような考えに似ている。自給自足の思想とは違う。まず、いろいろ教わるのは良いが、小田原の何のために何を学ぼうとしているのか。講師をお願いして学ぶということは、その目的が明確でなければならない。個人的な観点では、自分の暮らしを自給自足にするのが第一義の目的。その為の手法を知りたい。次の段階で、ご近所で共有する方が合理的なものがあるのか。この辺を考える。まず暮らしを自給自足に変える思想が、明確にされていない限り、自然エネルギーも新資本主義経済に飲み込まれる。エコマークのように、大企業の商品にグリン証書が張られて、それがステータスのようになって顧客に気分良く買われる。これは気持ち悪い社会だと思う。私も地球の為に良いことをやっています。こんな考えが蔓延することはまずい。理屈では合理性があるのは分からないでもないが、人間が変わるということが無ければだめだ。
次が古屋将太氏の講義「地域のエネルギー事業をどう作るか:海外事例」デンマーク・サムソ島の事例。これは以前、NHKが丁寧な取材をして放映していた。民放でも何社か現地取材をしていた。あの頃、COP15でデンマークの取材番組が流行していた。スウェーデン・マルメとストックホルムハンマビ―地区の話。事例としてはありそうな話ぐらいで、参考になるのかどうかも分からなかった。余りに小田原の状況と違う。果たして小田原にとって参考にすべき先進事例なのかどうか。古屋氏は話慣れていないだけで、実は内容は深いと感じた。今後に期待。抽象論、観念論としての自給の思想を聞いてみたい。自給の方角が明確にならない限り、小田原市行政がかかわるエネルギーの自給自足は、矛盾が生じる。矛盾は良いのだが、行政のかかわり方が人によって揺れることになる。かかわる市民は、翻弄されることになりかねない。
もっとも小さくもっともローテクなものとして、段ボールコンポストのことが少し出た。何故このことから小田原市では始めたかである。もちろん小規模地域の手法。中規模地域の手法。そして全体の生ごみの堆肥化。このように検討委員会では、答申している。まず小田原の10%の家庭が、段ボールコンポストに取り組んで見ない限り、街全体が変わるということはないと考えている。生ごみを全体で収集して、メタン発酵させてエネルギーを取り出す。こうした技術的な所から一気に解決しようとしても問題がすり替えられたことになる。本来できる限り生ごみを減らす、出さない暮らしを目指さなければならない。それには、台所と直結した所で生ごみに直面することである。そこから人間自身が変わる。消費的な暮らし全体を変えて行くことになる。それが一定の市民の中に広がらない限り、次の段階に進んでも駄目だろう。小田原方式は、そこに可能性を見出し、実験を進めているところである。