グリンカーテン

   


小田原市のグリンカーテン事業で配られたツルレイシである。この夏は、食べたいだけ収穫した。通称ゴウヤと呼ばれることが多い。その味の通りニガウリという名前もある。沖縄野菜と言うことで、近年一気に広まった野菜。沖縄ブームがあって、この野菜も夏の定番野菜になってきた。暑い時にあの苦さが良い。自給野菜としては、夏場作りやすい野菜と言うことで、家庭菜園では普通に作られている。この野菜がこのまま常備野菜として定着するのかどうかは興味深い。日本では世界中の食文化が抵抗無く受け入れられていると、一般的に言われているが、鎮江市の青物市場に行って、その野菜の種類の多さに驚愕する。日本の野菜の数倍、否、10倍近くの野菜の種類があるのではないだろうか。中国人の食材に対するどん欲さは日本人の比ではない。井の中の蛙で、日本食自慢の日本人を良く表していると思う。案外に、10年もしたら、ゴウヤも消えて行くのかもしれない。それは、香辛料の問題がある。日本料理は香辛料が少ない。そのものの味を尊重する食文化なのだろう。

こちらは薄いブルーの涼しげな朝顔である。苗を2本買ってきて植えたものである。昼間に写真を取ったので花は最盛期ではない。朝顔こそ、日本の江戸文化を良く表している。朝顔の園芸趣味の世界は実は奥深いものがある。朝顔は遣唐使によって日本に漢方薬として渡来した、薬草である。「牽牛子」(けんごし)と言うのだそうだ。牛と交換するぐらいの薬効と言う所か。お婆さんが蜂に刺された時、朝顔の葉を揉んで貼り付けてくれた記憶がある。朝顔は江戸時代の庶民がこりに凝って、世界の園芸界でも類を見ない展開をすることに成る。江戸と熊本で流行するのだが、肥後チャボを考えると面白い共通項に成る。素晴らしい変わり花は結実しない。たとえば、花弁が分かれる牡丹咲の場合、遺伝子を隠し持った親(親木)を見付け、その種子を蒔いて出物を得る。采咲(さいざき)牡丹を作ろうとすると、采咲に牡丹咲を掛け合せる。この采咲も種子がとれないので、采咲の親木を見付ける。種子には可能性があるだけで、栽培法と選抜法で作り出す。チャボの交配と似ている。

黒とか黄色の朝顔など見たこともないが、江戸時代にはあったとされている。技術が絶えてしまい現代人の能力では再現が出来ないと言うのも、日本鶏の世界と同じである。園芸では、ヨーロッパの交配法とは違う独自の手法を発見した江戸時代の庶民。チャボや金魚も同様であるが、閉鎖的な社会とされているが、意外な自由な精神の表れがある。それは農業の工夫でも同じで、江戸時代の稲作文化は、世界の農法の極致であった。朝顔の花としての多様な展開。中国より日本で起こったというあたりが、日本の文化特徴を見ることに成る。中国で生まれた稲作が、日本に伝わり、循環型の完成された農法に育まれる。しかも今なお工夫が絶えず行われている、奥の深さと不思議。

今年流行のグリンカーテンも江戸時代の庶民文化に起源をもつ。江戸時代の緑のカーテンは本当に上から下げられるカーテンで、軒先から吊るす物が主流である。朝顔も軒からしだれる作り方がある。あんどん造りの鉢物を軒から吊るすという形もある。狭い長屋暮しの庶民が、暑い夏をいかに過ごすかの工夫である。鈴虫籠を吊るしたり、軒忍を吊るしたり、涼しさの演出。庶民の軒先文化。江戸時代と比べて現代はまだまだ見劣りする。小さな縁側下に置かれたような箱で、飼われていたチャボ。これが卵や肉目的に特化されなかった所が、実に余裕の文化である。現代の世知辛さから思うとどちらが豊かな世界なのか、考えてしまう。軒しのぶやイワヒバ趣味は今もあるが、いかにも風流で、江戸的に見える。こういうものに子供の頃はまってしまい、節刀ヶ岳の方まで取りに出掛けたのである。

 - Peace Cafe