私はお墓に避難します。

   

福島で93歳のお年寄りが自ら、命を絶った。「私はお墓に避難します。」こう書き残して死んでいった。書いていても涙が出て来る。家族の避難を思って、こうした悲しい選択をしたのだろう。こんな悲しいことが福島で続いている。大震災の被災地全体で自殺者が増えている訳ではないそうだ。福島が増加しているそうだ。東電は許されない。至急手立てをしてほしい。そこに暮らす何万人の暮らしを奪うということがどんなことか。どれほどつらい、悲しいことか分かっているのだろうか。土地とともに、ご先祖とともに、生きている人たちの悲しみは、東京の勤め人暮しをしている人たちには、実感が無いことなのかもしれない。事故後すぐに有機農業でキャベツを作っていた方が、命を絶ったことも悲しかった。そして畜産をやられていた方の、ヒィリピン避難後の畜舎への白墨での書き置き。

思い出すとその絶望感が蘇ってくる。一日も早い、原発の収束しかない。日本中がこうした心理状態の中、原発再起動はちがうだろう。姥捨て山の悲しい山国の民話を思い出す。お年寄りの自殺が何件もあったらしい。年寄りが足手まといになるという意識。今の時代にあってはならない悲惨な状況である。農家は土地とともに生きている。土地から離れては生きては行けない。農業に生きるということは、農地を育てることに生きているということでもある。先祖から受け継いだ農地を、汚さずより豊かなものにして、子孫に残す。東アジア4千年の永続的農業の形である。原発はそうした日本人の根本精神を、崩壊させようとしている。文化として、全く異なるものである。化学合成農薬のそうした性格にも、受け入れがたいものがあったが、放射能が降り注ぐという意味は、さらに深い決定的な問題を含んでいる。

自分の人生を一瞬にして無にする暴虐。福島から離れなければならない、ということの辛さは計り知れない。小田原であってもこの地を離れるしかないと考える人がいる。私の家の土壌の汚染もたぶん、100ベクレルはある。その程度のことは、大したことは無いと言うこともできない。作物に現れることは、多分ほとんどないだろう。と言いながら、かつてと同じように土を見ることが出来ない。作物に愛情が持てない。申し訳ない至らない心である。Sさんにいわれた、「地場と言うことを考える必要がある。地域で作られたものを食べるということだ。お茶が放射能で汚れているなら、地域の人がそれを飲めばいいのだ。小田原程度の汚染であるなら、地域の農産物をできる限り上手く食べることだ。」このように言われていた。もしこの土地のものをどうしても食べることが出来ないということであれば、この土地を離れるしかない。生きるということはそう言うことでなければ、本当によく生きたということにならない。

もう一度、「地場・旬・自給」の思想を深めることである。そして行動することである。私はこのまま追われて逃げる訳にはいかない。ただ、怖れるというのでなく、放射能と向かい合う。まず測定をする。正しく状況を把握すれば、対策も見えてくる。畑を耕しながら考えることである。段ボールコンポストをかき回しながら考えることである。原発の要らない暮らしを目指してゆくこと。暮らしを変えない限り、原発はまた違った形で登場する。具体的に何をどうすればいいのかを考えること。まずは、ごみを出さない暮らしをすること。一人の暮らしが循環することを目指す。そのことは、わずかなことであるが、必ず世界を変えて行く。暮らしに必要なものをどこまでそぎ落とすことが出来るかである。

昨日の自給作業:大豆の摘心挿し木4時間 累計時間:24時間

 - Peace Cafe