小麦づくりのまとめ
小田原久野舟原で、1反の小麦を作った。10家族がかかわる小麦の会という形で行った。品種はあやひかり、収穫量は286キロであった。残念ながら収量は少なかった。原因はまだ分析できない。みかんを切って初めての畑と言うことで、まだまだ土が出来ていない感じのような気がしている。一部はとても良くできたのだが、まるで出来ない所もあった。できた所は倒れるし、できない所では穂数がとても少なかった。穂も粒張りが溢れて来るようなものもあれば、さびしいものもあった。土の悪い場所があるという気がした。初めての土地で小麦畑をやったということで、手順がやはり、田んぼの準備と重なり、不十分だったということもある。途中で福島第一の原発爆発があり、気がそぞろになったということガ申し訳なかった。小麦に対して愛情が足りなかったということで、誠に申し訳のない結果である。来年は準備からもう少し力を入れて、せめて400キロを目指したいと思う。
今は小麦は、脱穀されて粒に成り、家の縁側に干してある。そらやさんは毎年、ハウスでしばらくは干している。2週間ぐらいは干そうかと思う。その後は、桑原の低温倉庫に入れさせてもらうつもりでいる。粉にできるのはまだ先で、秋に成ってということに成る。美味しく食べるには熟成期間が必要と言うことらしい。藁が結構混ざっているので、とおみをかける作業もどこかでしなければならない。干し終わったところで、ごみを取って袋詰めと言うことに成る。お米もそうだが、収穫してから食べるまでには、結構な手間がいる。しかも保存をして、一年間食べるということは大変なことである。去年の小麦は、真空の袋詰めにして茶箱に入れたのだが。核家族に28,6キロづつ配ってしまうというのもあるが、どうだろうか。順番に粉にして1月ごとに、粉にしてわける。農の会では二宮でもグループで小麦を作っている。うまく、田んぼの会のように小麦の会が育つと良い。
それでも、月々2キロぐらいの小麦粉が手に入るというのは、悪くは無い。粉には里地里山協議会で購入した、製粉機が使えるのだが、粗めの粉なので麺の人は良いが、パンの人には使いにくいかもしれない。秦野の農協では粉に挽いてくれるそうだ。秦野の方が小麦を作る人が多いということに成る。秦野の方が田んぼが少ない分小麦が残っているのだろうか。蕎麦も持ってゆくと粉にしてくれる。足柄平野ではそう言うことをしてくれるところは無い。秋に粉が出来たら、ほうとうを打つ会をしたい。かぼちゃのほうとうである。慣れればそれほど面倒な料理ではないので、何とかうどんがパンに負けないように、あの美味しさを残したいと思う。なにしろ、美味しいほうとうを食べさせてくれるところがない。小田原周辺に美味しいうどん屋が無いということでもあるが、小麦の味がする、香りがする麺と言うのが美味しいものなのだ。
足柄平野の丘陵地帯は、すべて麦畑であったはずだ。今杉檜が植えられている里山は、すべて畑であった時代があったはずだ。みかんに変わり、今は植林されてしまった。それは景色が変わったということである。あの麦秋と言われる、美しい季節がそのものが失われた。小津安二郎監督の「麦秋」の日本家族が無くなったということである。景色と言うものと、人間と言うものは繋がっている。景色に育まれるように人間は育つ。美しい里で育てば美しい人間に成る。美しいは抽象的なようだが、生産の場の美しさだ。原始自然が美しいのではなく、人間の手入れが入り、良い調和がとれた循環して行く姿を美しいと感じる、人間に成りたい。寒い霜が湯気となるような麦畑で、静かに麦踏をしながら自分が風景に成る。そうした暮らしの素晴らしさを美しい言いたい。