ジャスミン革命
報道の力量は鳥インフルエンザへの対応記事などを見ると、能力の低下がはなはだしい。例えば、朝日新聞の社説では、「感染があった養鶏場では、野鳥の侵入を防ぐ網に穴があったり、鶏舎に入る際の消毒が徹底されていなかったりといった問題もあったようだ。野鳥が入り込まないよう工夫するとともに、フンなどに触れた人や物から感染が広がらないよう、厳重な防疫策がいる。」当たり障りのない範囲で、意見と言えるようなものはない。その後朝日新聞では、もう少し突っ込んだ記事を出したが、それでもどうするべきだというようなことはなく。感染の拡大を防ぐ、掛け声だけである。確かにこの病気の科学的な正確な情報はまだない。どういう感染ルートで大規模養鶏場に広がっているのか。不思議でならない。そういう不思議の原因の参考を新聞は提供できない。消毒も充分にしている。野鳥の侵入もできる限り防いでいる。その程度のことをやらない大規模養鶏場はない。
それでも野鳥から感染が広がる。野鳥をどうにかするしかない。どうにか出来ないのだから、受け入れるしかない。
ネットで私が養鶏について書くことは、いままでの経験で、起こりうる可能性を書く。間違っているかもしれないが、朝日の記事よりは役に立つ情報のはずだ。養鶏場より不忍池の方がリスクが高いのか。等ということに成る。もう一つのやっている絵画の分野のことでいえば、批評のレベルが低い。たまに出ているがまるで内容がなく、評論というものがすでに成立していない。新聞の美術評論を参考にしている人はいるのだろうか。報道期間の能力に奥行きが無くなっている。そういうことを考えたのは、田中早苗市( 弁護士 )「ネット帝国主義と表現の自由」を読んだからである。ネットによって世界で様々なことが起きている。チュニジアではジャスミン革命が起きる。情報というものの扱いは、遮断はできない。人間の頭の中まで管理することは難しい。大相撲の八百長が携帯電話の記録から出てきた。迂闊なことである。携帯は便利なようで怖ろしい証拠を残している。買い物やら移動する切符やガソリンの購入、カードを使う人なら、行動は捕捉されているともいえる。すでに違う世界が生まれ始めている。
納税者番号が言われている。必要で、効率的で、時代の要請から言えば不可欠ともいえる。情報管理を完全にすれば、問題は起きない。納税者番号に入れば効率が良いので処理費分とか言って、少し税金を負けてくれるのだろうか。国民の管理体制が構築をしたいと考える人が出てこないか。小学校の時の通信表の内容から、今朝は何を食べているかまで他人に把握されている暮らし。それも遠からず可能なことに成る。そういう社会で仕方がないのか。それでなければ国際競争に勝ち抜けない。などと主張するのだろう。独裁者ならそういうことを考える。国が食事の指導までしてくれて、健康管理が行き届くということでもあるが、私には丸見えの中で生きてはいけないだろう。本当に必要悪のようなものと考えるしかないのだろうか。ネットは人間の暮らしにとって、原子力の開発以上のものである。人間は、と言い切らず、私は相当に駄目な人間だ。努力もするが、基本はインチキである。インチキを減らしながら、折り合いをつけようと言うだけだ。ガラス張りは息苦しい。