農の会の経営
農の会では、定例会を各田んぼが持ち回りで、行うことになった。今月は8日で欠ノ上田んぼで行われた。2月舟原田んぼが担当で、12日となる。楽しい集まりにできればとおもう。昨日もいろいろの話が出た。30人位は居たのだろうか。正味2時間位だから、充分話せる時間もない。毎回初めて見える方が居て、その方を含め自己紹介というところから始まった。昼から、逗子でごみ交流会があって、小田原の展開を話していたので、ちょっと遅れた上に疲れた状態でたどりついた。すぐに自己紹介だった。1月ということもあって、農の会の展望ということが話題になった。しかし、踏み込んで話すという状況でもなく、なんとなくTPPがある。という位で終わった。大豆の会の大豆価格は農の会の農産物価格に連動している。200グラム200円である。これを、150グラム200円にしたらどうかということだった。それでいいというのが結論であった。
この機会に、農の会の農産物の価格に対する考え方を、宅配先に伝えて行く必要があるのではないか。そういう意見が出た。確かに、価格というものは生産物の結論の一つである。それを決めることはまじめななものである。それぞれの考え方が一番色濃く反映する。再生産価格ということが言われる。農家として継続できる価格ということに成る。しかし、その過程を含めて購入する人と共有して行くべきだ、という意見である。共有する過程で、TPPと地域の農家の関係までつながっているということを知ってもらえるようにすべきでないか。という意見が出た。何故か私の意見として、そのことが出ていてそれでもいいのだが、私の考えは少し違う。5年先の農の会のことを想像して見る。その時にも、新規就農者を受け入れられるような会であってほしいと考えている。今就農した人が自分のことで手いっぱいで、後に続く者のことまで考えられないというのでは、それぞれの農業もだめになる。農の会を支えている思想はそうしたものではないかと考えている。
といっても、個々の新規就農者は日々の農作業で手一杯が現実である。たとえば、生ごみ堆肥の集会にも、メダカ協議会の集まりにも、TPP反対の集会にも出席する時間もない。だから実践する農業者とは、環境保護団体が簡単には協働出来ない。これから始めるということはそういうことだ。その実践への集中も大切にしなくてはならない。と言って関心を持たないでいいというものでもない。やれるものがやればいいと思う。ただし、今はやれないが思いは共有しているという、関係が成立していなくてはならない。田んぼに子供たちが来て、遊んでいてくれるから、良い田んぼが出来る。それと同じだと思っている。それぞれの役割がある。素晴らしい農の会の畑とその生産物があるから、TPPに対して意見も言える。それは、農産物を食べてくれている人までつながっていて、150グラム200円の大豆を食べてくれる人と理念と思いを、共有しなければならないのだと思う。
それは、面倒くさい、ややこしいようなことではあなるが、世界中の農家と農の会の農家も一直線である。その意味で、これほど働いても充分な収入がないということは、恥ずかしいことでも何でもない。そういう農家は、中国にもアフリカにも暮らしている。経済だけ考えて要領よく生計を立てるより、原理原則にこだわり、自分の農業を極めようとして収入が少ないことは、立派なことである。TPPによって、世界の小さな普通の農家がプランテーション農業に潰される。このことが一番問題なのだ。条件の良い日本はそれなりに勝者も出る。必ず負けるだろう、悪条件の国もある。農産物は輸出入の対象であるべきではない。工業製品と同列に考えることにより、育つべき小さな小さな農業すら壊滅して行く。このことは、たぶんTPPを考える上で、話題にすらならないだろう。反対する人も巨大商社の可能性。農の会の経営は、5年後どうなっているのか。そのことは次の人たちが考えることだと思っている。