印鑑を作る
あしがら農の会の「農」の印鑑を作った。今年の書き初めである。実用品である。篆刻とか言うようなものではない。中央はプロの作品で、祝という字がめでたく彫られている。両側の印影が、私の彫った陰刻と陽刻である。しかし、この2字は練習で、その次に彫ったものを使おうと思っている。使う印鑑だからそれはここには載せない。判を作るのはとても面白い。面白すぎて困る。何が困るかというと身体が固まる。これほどの根詰め仕事はないだろう。細密な仕事を、全力の力を込めて繰り返す。1時間やると、それなりに終わる。それで終わればいいのだが、結局何日でもやってしまう。やればやるほどつまらないものに成る。修正に修正を重ねるから、無難になって、何でもないものに成る。最初のどうにもならないと見えた時の印鑑の方がましだったことに成る。しかし、それでもあきらめないで思いつくあらゆる、手だてを尽くして、何とかそれなりのところに持ち込む。結局作品には程遠いものである。だから、実用品である。
以前こうして作ったものを登記所に持ち込み農の会の実印にした、登記所の係りの人は、戸惑っていた。サイズがおかしいでしょうとか言って一生懸命、計っていた。当然というか、基準内に作っている。文字について言えば、どんなものでもかなわない。読めようが読めまいがほぼ関係がない。読めると言うなら良いことになっている。少なくとも私には読める範囲である。だいたい印鑑は読めないような、思わせぶりな字体ばかりだ。作ったものが読みにくくても、それだけをいけないとも言えまい。会社の実印は10ミリから30ミリの正方形に入ればどんなものでも構わない。個人は8ミリから25ミリの正方形に収まるもの。印鑑に対して呪術的な意味まで言う人が居る。多分緊張する場面で使うものだからだろう。印鑑は縁起物に成っている。ハンコウ屋の上手い商法である。土用のウナギである。流儀まであるようだ。もっともらしいいわく因縁をつけて、意味づけをしようとする。そんなことに動かされる弱い心が厭だ。
ハンコウの詐欺というものが一時はやった。思わせぶりに高額でハンコウを売りつける。実印、銀行印、認め印、の3点セットで18万円とかとる。印鑑を変えると、家運が上昇すると言うようなことらしい。「ちょっと印鑑を見せていただけないでしょうか。この右の所が離れているところが、うむー・・・とっても、問題です。ここは竜輝の場と言って、家運の隆盛を担う場所です。このようにここが離れている為に、お子さんの病気などないですか。夜眠れないなどということもあるでしょう。」「この似非流の印鑑の石には、3年間那智の滝に石を打たせて、運気を十二分に込めてあります。そうです、文字の配置の方も似非流の様式に従い、本家の職人が身を清め、心をこめ、掘り起こすものです。」私の絵の先生が、美人詐欺師に騙された時のことだ。話では、もう一度その美人詐欺師に来てもらいたいので、彫ってもらうことにしたそうだ。印鑑にはなんとなく、触れがたい有難い空気がある。だからこれをぶち壊した印鑑の方がいい。
シャチハタ印は駄目です。というような指定がある場合がある。しかし、100円ショップには、いくらでも機械彫り印鑑がある。シャチハタとどこか違うのだろうか。インクがいけないということか。ゴム印ではだめだということのようだ。日本にはサインの文化がないから、印鑑である。機械彫りの印鑑が出来てからは、本質的には役には立っていない。ネットで使われる印鑑もあるらしいから、印鑑は形式的なものに成っている。フランスで銀行口座を作るときは、サインが居る。漢字にした。私の作る印鑑はまねにくいところがある。傷だらけだから、この傷をいちいちつけることは多分不可能である。指紋に近いものがある。石の傷と言えば、拓本を取る人が、取り終わると、石に傷を付ける輩が居るそうだ。それより前のもという価値のの為だそうだ。
昨日の自給作業:みかんの植え付け準備と枝払い1時間 累計時間:6時間