落ち葉かき

   

「落ち葉掻き」ついつい焚き火だ♪焚き火だ♪と歌ってしまう。が、それは落ち葉炊きの方だ。昔は普通の冬の入り口の景色だった。公害である焚き火は禁止すべし。そんな意見が強い。そこで育たものをそこで燃すことは、悪いことだけではない。余所から持ち込んだものを燃やすのは、確かに問題がある。もみ殻をもやすな。そこまでは良いにしても、籾ガラ薫炭を作る煙も怒られるくらいだから、煙を嫌がる人がいるのだろう。そんな人が農村に住むということの方が不自然である。せめて市街化調整区域の農業振興地域に暮らすという意味を自覚してもらいたい。普通の農業に伴う、騒音や煙や臭いは、仕方がないことだ。そういうものが厭な人は、住居地区に住めばいいのである。農村がどういう場であるか。このことだけは理解してもらいたい。理解できれば、この素晴らしい環境の中に暮らすという喜びが分かってもらえるはずだ。

落ち葉かきはもちろん燃やすためにやる訳ではない。踏み込み温床を毎年作るからである。ある日木枯らしが吹いて、木々の枯れ葉は一斉に落ちてしまう。今年は、12月3日であった。その翌朝が落ち葉かきである。昔の向昌院では、山の上から落ち葉を家一軒ぐらいの規模で掃き下ろしてくる。それを木小屋の裏の堆肥場で踏み込んでゆく。それはものすごい量だった。今回はたったの300リットルくらいの袋に5袋である。但し、少々ずるという事になるかもしれないが、山で堆肥化しているところから集めている。昔はそういう窪みがあったものだが、今は植林ばかりで良い場所が少ない。堆肥の香りがしないようなところではやる気がしない。今の時代車の行かないところで、落ち葉を掻くような物好きはいないから、ある意味取り放題ではある。それにしてもケヤキ一本でどれほどの落ち葉が積もるものか。すごい量である。これが山に戻って行くのだから、山から海まで潤ったはずだ。

車道の落ち葉かきが良くされている。落ち葉が一番簡単に集められる。有難いことだが、私はやらない。畑に入れたくないものが、つもり積もって行くような気がするからだ。そこまで神経質になることもないが、山で堆肥化しているところを探してあるのだからそっちの方がいい。表面につもったところをはがすと、白いはんぺん状の菌の塊が出てくる。こういうところを集めると良いたい肥になる。鶏小屋にもこれを入れると良い香りになる。踏み込み温床だが、年が明けて2月からのことになる。ハウスの一角に作る。稲藁、米ぬか、落ち葉と水をかけながら、何層にも積みあげて行く。踏みつけながら、高さが1,5m位に成るように積む。これが徐々に半分らいになってしまう。しばらくすると発熱してくる。ここには鶏糞は入れない。入れないほうが臭いが良いからだ。良い発酵になれば、苗にも良いかと考えている。

木嶋先生の拮抗微生物の考え方で、苗は作っている。踏み込み温床で作る苗は免疫力が備わる。という考え方。以前織座農園の窪川さんから、分けてもらった踏み込み温床トマト苗が、12段露地で収穫できたので、それ以来、踏み込み温床に惚れ込んでいる。植物免疫の考えは新しい考え方だが、江戸時代では当たり前のことだった。油紙障子紙を使った温床が戦後もまだあった。油川の家では、苗床を家の前の田んぼでそんな形でやっていた記憶がある。ハウスの中の、踏み込み温床は効果が高い。苗箱を温床の上に並べて、発芽させる。水やりもそこでやるから、自然に堆肥の水分補給になる。その一角だけ2重にビニールで囲む。温度の確保もあるが、免疫を付けるという気持ちでやっている。だから、冬場以外の苗作りも、堆肥づくりと出来るだけ連動させている。このハウスは北側は大きな自然石の石積みである。この石が昼の間、南からの日照で蓄熱する。夜の間は少しづつ放熱して、寒さを緩和してくれる。石垣イチゴの原理である。

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