名護市民の選択
名護市民は基地反対を選択した。普天間基地移設の問題を放置してきた、13年。もちろん戦後の米軍占領に始まる65年の、沖縄の人達の分断と差別。それは、島津藩の占領。中国との領有権問題。明治政府の弾圧。戦中の沖縄の日本軍。深い歴史を背景にした、民族意識の潜在的反応を背景がある。自民党長期政権によって固定化された、沖縄差別構造。1972年5月15日まで米軍の占領の長く続いた。まるで、沖縄が日本でなかったことを多くの報道は忘れたかのようだ。沖縄返還が行われたら、本土が沖縄化すると70年当時、共産党は当時主張していた。反安保、反返還。沖縄の人達をまったく無視した形で混乱を極めた、当時の日本の政治状況。そして、返還は達成されたが、日本にある在日米軍基地の75パーセント(面積比)が沖縄県に集中している。軍事力による安全保障を主張しながらも、その負担は沖縄に集中させてきた現実がある。
日米安全保障条約は50年を迎えた。この条約が極東の安全を維持したかといえば、朝鮮戦争、ベトナム戦争、と大きな戦争を継続させてきた、アメリカの前線基地としての役割が一番大きかったのだろう。沖縄は返還はされたが、拡大し劣勢に追い込まれるアメリカの前線として、基地機能はさらに強化されていった。アメリカ追随外交以外、道を見出せない自民党政権は沖縄の基地固定化政策を進める。交換的に公共事業で金だけは落す。本当の意味の沖縄の経済自立は却って遠のく結果になる。最近の日本は沖縄的空気に憧れがある。沖縄の根底に存在する、ゆるやかな、たおやかな、文化に経済競争に疲れた、社会が反応しているのだと思う。沖縄から、ミュージシャンが続続と現れる。沖縄には生きた暮らしの民謡がある。日本人がこれから目指す、何かが沖縄に感じる。
名護市の人達は苦渋の選択をしたのだと思う。日々の暮らしと、基地の迷惑。普天間基地移設が国外であってほしい。せめて県外で。という話は出て来るが、何故基地廃止という話にならないのだろうか。本当に軍事力を強化していかなければ、安全という物は保てないのだろうか。何故韓国から米軍は撤退すると言う事になっているのか。現韓国の政権はむしろ米軍駐留を希望している。北朝鮮との関係は徐々に緊張を高めている。韓国にとってアメリカは、にくき日本を追い出して解放の手助けをしてくれた、ありがたい国のはずだ。今も交戦状態にある、北朝鮮との関係を考えれば、親米的であるはずだ。ところが、日本以上に反米意識が高い。世話になっている関係は面白くない。特に、軍や経済の中枢部が、アメリカとの関係を背景に甘い汁を吸い続けたという、反発意識があるだろう。
沖縄の人達の置かれた状況は、アメリカにはも、本土政府にも不愉快な感じを、持たざるえない現実。経済的恩恵を背景に、基地という日本全体が平等に負うべき負担を、一手に背負わされている現実。今回の名護市の拮抗した選挙結果によく表わされている。普天間移設は絶対にやり遂げなければならない。本来、基地を廃絶すべきだ。しかし、今はそのことよりも、緊急に日本全体が広く、薄く負担を平等化する必要がある。その上で、日本の安全保障をどうするべきかを議論すべきだ。辺野古でなければいけない。沖縄でなければいけない。一旦した約束だからというだけで、強く主張するアメリカの論理はおかしい。但し、日本の他の地域が、沖縄に負担を押し付けたままで、負担を固定化したままで、日米安保を論議するのもおかしい。米軍基地の無い件は、基地引き受けを申し出るべきだ。アメリカも、不便不都合、約束を主張せず。日本がしっかりと日米安保を議論できる、環境を作り出すべきだ。