市民力と行政の役割
小田原では加藤市長が『市民力』を生かしたいとしている。この主張はどの市長も必ず選挙の際には表明する事である。小沢前市長も同じく言われていた。いわば選挙に勝つための、挨拶のような場合が多い。所が加藤市長は、文字通り市民の力を引き出そうとしている。市民公募の6つの検討委員会を立ち上げ、実際に一部の市民が市政に加わる形で動き出している。TRYフォーラムという形で、無作為抽選の市民の意見を聞く場も設けた。小田原有機の里協議会のおいても、久野里地里山協議会においても、行政職員の熱意ある協力を得ている。以前から小田原の行政というものがそういうものだったのか、どうかはよくわからない。つまり、農業分野に今まであまり力がかけられていなかったのかも知れない。加藤市長が農業や、小田原の周辺部の環境に関心が深いと言う事は、反映しているのかも知れない。
それは、小田原無尽蔵プロジェクトの、エコシティーツアーというものにも現れている。今日は早朝から、バスで回ることになっている。フラワーガーデンにも来るので、この機会にモグモグを見てもらうことになっている。朝は魚市場で朝食。食品廃棄物の資源化をしている二見さんにも行く。生ごみの検討委員会でもまだ席があるので、参加希望を募った。正直私は個人的に、日頃利用させてもらい、見て歩いてきた所ばかりである。見学というのは私的にやらないと、むしろ誤解させられると思っている。実は、今まで行政と協働してきたことで、上手く行った事は少ない。理由は守備範囲の問題だと思っている。黙っていてくれるのが、一番の協力だと思ってきたくらいだ。行政の行うべき事。市民が行うべき事。この区分けを明確にしなくてはならない。
市民が行う事は、明確に生活をすることに尽きる。この地域で生計を立てることである。私なら農業をすることである。行政が行う事は、市民の生業が地域で繋がってゆくための調整補助である。行政の役割は、福祉の分野、教育の分野、医療の分野、では分かりやすい。しかし、無尽蔵プロジェクトは地域経済の活性化である。産業分野での行政の役割は、かなり分かりにくい。その上利害関係があるから、難しい。10の分野があって、その内の一つに小田原をエコシティーと考えようとするものがある。事例の第1に取り上げられたのが、有機農業協議会とビーグドカフェの関わったとされる、小田急デパートでのイベントである。実態に関わるものとして、少々危うい感がある。もう少し、報徳思想としての無尽蔵を考える必要がある。『徳は無尽蔵にある。』とする徳は、精神であり、哲学であり、生き方である。利用可能な資源の事ではない。
「持続可能な市民自治のまち」を小田原が目指すとするなら、地域の生業が活性化されなければならない。生業が成り立つために一番真剣に取り組んでいるのが、街場であれ、周辺地域であれ、当事者たる市民である。ところが、この当事者が様々な理由で、生業の維持が難しくなって居る。少なくとも、子供にはやらせられないとする、農業者は多い。希望の持てる農業環境の整備が急務。行政の役割は農地の紹介。調整。契約業務(NPO法人の場合は、小田原市が直接は借りる事になっている。)。農業をやるのが当事者たる農業者である。耕作放棄地の再生を掲げながら、行政に農地の紹介をお願いしてもまったく見つからない。情報は古くて実態とかけ離れている。契約を進めてもらっても一向に埒が明かない。周辺地主さんへの周知をお願いしても不徹底。こう言う事が行政の役割と私は思っている。行政はそう言う事は本人がやることだとしている。新規就農者は地域の事など当然わからない。ここの間に立つのが行政の役割だと考えている。