ホスピス「どちペインクリニック」

   

いわゆるホスピスという施設には、初めて伺った。山梨県の「玉穂ふれあい診療所」である。伺った日は、休診日で施設の方にはどなたにもお会いできないだろう。施設の外から概観だけでも見せていただこうというつもりで伺った。確かに施設は休診日でだーれもいないようだ。正面の入り口から、中をガラス越しに覗くと、素晴しい字が掲げてある。堂々とした、墨躍る文字がある。何ともいい字である。良くあるヘタウマ文字とも違うが、書家の書く手馴れた字とも違う。実に心に響く文字である。言葉は完全に忘れている。堂々とした文字の素晴しさが胸を打ったことが忘れられない。入院棟の方に回ると、一緒に行ったまごのりさんがご存知の方が出てこられる。丁度、「亡くなられた方のお見送りなので、」と言う事で少し緊張して待っていると、美しいお年寄りがベットに横人ッた儘静かに現れた。ご遺族の方の啜り泣きが響く。施設に居られる全員の方が、お別れをする。院長先生らしい方が、お別れのご挨拶をされる。何気ない瞬間のようで、かけがえのない一瞬でもあった。

「痛みのコントロールと在宅医療が一緒になって在宅緩和ケア(在宅ホスピス)となりました。自分の住み慣れた場で生活し,最期もそこで迎えたい。という人間としてあたりまえの願いを実現するために,私たち医療法人どちペインクリニックの職員はがんばっています。」このように理事長の土地先生は書かれている。休診日が幸いして、土地先生と看護婦長のお二人が時間を割いてくださる。ここにも立派な字が掲げてあるので、どなたが書かれたのか伺うと、28歳の青年だという。何ということか驚きが走る。脊椎損傷で、手で筆も持てない状態だという。車椅子の生活だそうだ。手に筆をしばって、体全体で文字を書くのだそうだ。その字の堂々とした、そして崩れのない姿は、全く見事である。そうなのかとか、その歳でその覚悟が出来るのは。お別れの時に部外者の私がくわえていただき、少しも違和感のない懐の広い空気。厳粛であり、親しげないい時間が過ぎた。私も、もしかしてこんな形で去ることが出来たら、いいものだが、あの立派な字に見守られている空間。私の絵など到底及ぶものではないと思わざる得なかった。

小田原の医療も大変困難な所にある。在宅医療が崩壊しているに等しいと聞いている。そのこともあるが、地域の人間関係が急速に希薄になる中、どのように地域のコミュニティーを再生し。また、地域の福祉・医療との連携を、そしてその拠点をどう作るのか。現在二つの検討委員会で模索が続いているようだ。その参考になればと言う事もあった。在宅医療と診療所とホスピスの組み合わせで、運営されている地域医療所の仕組み。その前提に土地先生という人間の素晴しさがある。とても財政運営は難しいそうだ。国の診療報酬の問題が根底に存在する。今度、改善されるのか期待しているとおっしゃられた。家庭で最後を過ごせる幸せ。それを支える、在宅看護の支援の輪。そして地域の診療所でのペイクリニック。小田原にはそんなお医者さんはいないのだろうか。居るに違いないのだが、良い組み合わせが出来ないのだろう。

土地先生は最後の最後だけ、病院のお世話になればいいといわれた。地域に身近な健康管理センターがほしい。それは銭湯だと思っている。健康ランド銭湯が経営できるためには水道料金の、特別枠が必要らしい。銭湯で健康維持が出来れば、医療費の削減になる。利用者健康カードをコンピューター管理する。体重、血圧、尿検査、血液検査。など必要な検査が自分で簡単に出来る、検査室を併設する。風呂代込みで月額1万円くらいでやりたいが。お医者さんの常勤は無理だろうから、看護婦さん、あるいは保健婦さんの適任の方におねがいする。日常は利用者が自ら測定機器を使う。コンピューターの記録を定期的に観察する人が居て、おかしいと思うときには、その人が次に来た時話せるように、チェックする。必要なら精密検査をする。医療費の問題は、日常の健康管理が大きい。自分の体の事について、病院任せにするから、大したこともないのに病院に行ったり、手遅れに成って病院に行くことになる。

 - Peace Cafe