天皇の政治利用
天皇さんと中国の習近平国家副主席との会見は政治的なものだ。中国との関係において、天皇と中国の代表が会うと言う事は、政治そのものである。今までもそうだし、これからもそうだ。あえて言えば、天皇の行為で政治的でない行為などめったにない。まして日中関係は、現在焦点となっている日米同盟において、力関係の微妙なバランスの問題である。急に会いたいと言う中国はさすがに抜け目がない。しかし、この話が出たとき、中国の国内は大丈夫かと感じた。中国だって危険を冒している訳だ。中国の首脳が日本で天皇に会うという場合、歴史認識の問題が出る。98年に江沢民主席が宮中晩餐会で歴史問題に言及した。中国の首脳としては言及せざる得ない問題である。しかし、日本では大きな反発が起きた。今回は一切そう言う事は無かったようだ。中国の自信が感じられる。小沢氏とのあうんの呼吸と言うか。いかにも全てが政治である。
この問題では小沢氏の激怒会見の意味がとても危険なものに見える。怒りを表してしまう政治家は失格である。役人を叱責することに、意味を持たせるなら、見えない所でするのが普通の事である。それでなければ役人に対して、効果がない。あれは国民向けの怒りである。小沢氏を怖ろしい人間だと言う印象が定着した。小沢氏の役回り意識ではないか。田中角栄氏から学んだ政治手法であろう。あの激怒会見の一番の問題点は、「天皇は会いたいと言うに違いない。」という、小沢氏個人の憶測を述べたことだ。天皇は民主党を支持しているに違いない。こう言う事を述べたに近いのだ。天皇の権威を利用して、今回のルール逸脱の会見を正当化しようとする姿勢が見える。「だいたい君は憲法知っているのかね。国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。」こう小沢氏は言っているが、そもそも外国の首脳に会う事は、天皇の国事行為ではない。憲法には天皇の国事行為は具体的に10項目挙げられていて、そこにない。
やはり早急に象徴天皇制は廃止すべきだ。実に危険なことになってきた。小沢氏の主張するような、曲がった民主主義では天皇が今後、拡大解釈による政治利用が普通に行われるだろう。自衛隊の観閲などが行われるような事態は充分に予測される。一方、自民党はこのときとばかり、天皇の政治利用に対して、意見をまとめるそうだが、自民党内部は大丈夫なのかと言わざる得ない。今回の会見には中曽根元首相が関与していると言う噂もある。天皇を掲げたい本家争いの様相をていしてきた。小沢激怒会見の演出の裏にあるのは、いまや天皇を自由に出来るのは自分だと、本家だと、示したかったのだろう。そのために詳しくもない、憲法を持ち出し。尊重もしたくない、民主主義まで担ぎ出した。そして、天皇自身の意思まで憶測して、重みをつけようとしたのだろう。本家争いの見苦しい姿だ。
天皇家の皆さんはとても立派な方々だ。一貫して平和主義者である。選挙権はないが、民主主義を理解もしている。行動も過不足がない。今回の事件でも、もし何かのコメントを天皇が出したらどう言う事になるか。具合が良くないので会えないと言う事になったらどうなる。政治的意味合いが深まる。いつかは、必ず、今ほど立派でない天皇の時代が来る可能性もある。自衛隊は廃止した方がいいなど発言があるかもしれない。今のうちに天皇と言う存在をもっと日本的な、大切な位置に置くべきでないか。江戸時代の天皇家の位置がいい。文化をつかさどる天皇家。日本文化の象徴としての天皇家がいいのではないか。高坂正堯氏は「天皇さん」と呼ぶぐらいがいいといわれていた。京都にはその伝統があると書かれていた。京都御所に戻るのが先決である。日本にとって天皇家は重要である。政治的意味合いでなく、あくまで文化的意味合いで重要である。と言う風にすることであろう。