水彩人展審査
第11回水彩人展の審査が、東京都美術館の地下で行われた。このあと、都美術館は大きな改装が予定されている。これが我々としては、最後の都美術館利用になる。旧都美術館を記憶しているものには、今の都美術館が新都美術館と思っていた。それが既にほぼ取り壊されるのだから、こういう箱物は美術館というより、パビリオンと呼んだほうが良い。使い勝手が悪いという不評のまま、改善されることもなく役割を終える。今度の大改装は地下4階、地上4階建になる、と言う情報があるので、建て直しに等しい事になるだろう。あえて改築と言っているのは、建築基準法か、都の予算の上での何かがあると、想像している。いずれ、新国立美術館に多くの公募展は開催場所を移した。これを引き戻せるような、みんなが戻ってきたくなるような、都美術館に生まれ変ろうとしている。
2年間かかる。この間水彩人展は当面のメイン会場を失う。どの会も同じことなのだが、この2年間をどうするかで、それぞれ深刻な課題をかかえている。公募展という仕組みで運営されている組織が、2年間公募をしないでいた場合、会としての存続が可能かどうか、まで議論されている。100年に近い歴史のある組織も有る。組織そのものが、公募すると言う事を巡って成立している会も在る。今思えば、この2年間の休止を予測して、新国立に多くの団体が不安をかかえながらも、場所を変えたのだ。水彩人では12回展を来年6月に北海道での開催を予定している。神田日照美術館で同人展の企画がある。話は組織が行政なので、予算的にまだ本決まりではないが、予定はしている。この機会に同人みんなで、北海道まで行こうと楽しみにしている。その後13回展は出来れば、銀座でやりたいという話が出ている。
11回で新生した水彩人は、同人は15名である。会員も審査の結果15名となった。一般公募に応じてくれた人は50名。招待等の作家が、9名。日本の水彩作家の代表的な展覧会になったと、自負している。自負だけでなく、多分、周囲からの目もそういう物になってきていると思う。一番の理由は、公募展というものが、大作主義できた間違いがある。見栄えと言うだけで、水彩の特徴である。小さな作品を排除してきた。例えば水彩連盟展や日本水彩展では20号以下の作品は、受付ける事もしない。しかし、個展を中心に活躍している水彩作家は、20号以上の作品を描くことは少ない。水彩画の力を発揮する条件が、むしろ小さい作品にあるからだ。これには、公募展という会場が、大作向きに作られていて、画廊というものが、小品向きに造られていると言う事が、原因している。
水彩人では、むしろ小さい作品に焦点をあわせてみようと考えている。水彩と言う素材を問い直してゆく課程で、作品の大きさと言う所に重要な観点が存在し、20号以下を排除する今の公募展の考え方は、間違っていると考えるようになった。水彩の持つ色彩感は、むしろ小さいものにある。近づいて鑑賞するところに、その特徴を発揮する。公募展であっても、そうした水彩らしい絵画が見やすいような、特徴ある展示をするべきではないか。そう考えるようになった。既に、他公募展の中にもこうした考えに追随する所も現れてきている。これは絵画の展示と言う事が、内省的なもの、自己確認的な傾向。こうした美術史的背景もある。今度の、都美術館の改装が、こうした時代の傾向を反映した、小品の展示に適することを望むばかりである。
昨日の自給作業:草刈1時間 累計時間:13時間