舛添発言、

   

舛添要一厚生労働相は十八日午後、横浜市内の街頭演説で、「年越し派遣村」に関し、「(当時)四千人分の求人票を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を、働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と述べた。(東京新聞)

やっぱりな、そう思うんだ。多分口にはしないが、多くの人がこんな推測をしているるだろう、を利用した。まして、担当責任者の厚労大臣の発言だから、説得力がある。「誰も応募をしない。」はまさか無いだろうと思う。本当に応募しなかったのなら、4千人の求人票を用意して、裏切られたという思いはあるだろう。「仕事を失った人に、仕事を紹介したら、応募もしない。」以前、このことは書いたことがある。私はその時、「働く意欲が弱い人」と書いた。そこから、一次産業の人不足との、関係など書いた。意に染まないことはしない。何が何でも働こうとは思っていない人が出現している。舛添氏のような優秀の標本のような人には、少し理解しにくい人達が表れている。新人類の名称の方が想像できるかもしれない。もちろん、派遣村の人がそうだったと言う事ではない。

派遣村の人は、派遣切りにあった人ということだった。みんなの頭の中に、秋葉原事件が存在した。格差社会の現実が、正面からたち現れた感じがしていた。あの時、厚労省の講堂が超法規的に開放された。その直後「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」。総務省の坂本哲志政務官からそんな発言が出た。実際、村に集まった人たちはどのような人たちだったのか。派遣村実行委員会が、村民354人から聞き取った集計によると、景況悪化を理由に解雇された派遣従業員は日雇いも含め、全体の40%にあたる130人。33人(9%)は従来からの路上生活者だった。また、厚労省の調査によると、滞在村民が約300人だった1月5~7の3日間で、臨時に設けられたハローワークに相談に来た人は約200人(66%)。具体的な就職相談まで話が進んだ人は約120人(40%)だったという。(産経新聞)

厚労省の調査結果からも、「誰も応募しない」とする舛添発言は捻じ曲げている。しかし、この発言を選挙の応援で、あえて行う背景がある。こういう発言が、大方には受けるだろうという。計算が働いている。二つある。「派遣失業者と言いながら、実は路上生活者であろう。」「どうせまともに働く気がない人達だろう。」こういう先入観によって作られたイメージに働きかけている。社会的弱者につめたい社会に益々なってきている。先行き不安をかかえた人達にに対し、さらに弱者を批判することは効果がある。「ああなりたくないだろう。」自己責任の論理である。派遣という不安定な仕事に、全ての職種を認めてしまった。大企業の経営だけを優先した、政府の労働政策の間違えが根本にあることを、認めない強弁である。確かに人間は駄目なところがある。駄目で普通じゃないか。少々駄目でも、普通にやれる社会。舛添優等生だけじゃ、つまらない。

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