田んぼの復活
暮している舟原地域では、今年も田んぼが復活する。美しい久野里地里山協議会が結成されたと言う事だけでも、この地域で田んぼを再開する機運が高まっていると感じられる。坊所地区でもあちこちで田んぼの整備がされれているから、多分3箇所ほど復田が行われそうだ。農の会の新たに田んぼのグループに入りたいという人は、今の所8家族である。とても多いいと感じる。8家族増えると言う事は、鬼柳地区で私が責任者で、田んぼグループを一つ作ると言う事がある。また、岩越さんが月の田んぼをはじめることもある。管理責任者さえ居れば、その範囲で仲間は増える。直接ではないが、松下政経塾が試行する田んぼの技術協力も行うつもりなので、今年はあちこちで始めての田んぼが生れる。初めての田んぼは出来る限り参加して、一緒に耕作することにしている。
農業技術は感性を育てる部分が大きい。子供の頃からの農家育ちなら、自然身についていることも、全くないという事が普通に成っている。今の時期、苗の葉色がとても気になっているが、何十年と繰り返す内に、自分が望む初期段階の生育というものが身について来る。これを一年であらましを知ってもらって、後は判らない所を聞いてもらいながら、自分の田んぼ技術を育ててもらう。これで、まるで始めだった人でも何とかやれるようになっている。大雑把なようだが、これが良い。自分でやって失敗しながら、作物を見る感性が身につく。技術だけでなく、グループでやる場合の連絡法や、目的の共有化。相互の意思疎通。こう言う部分も伝えている。翌年からは、全てを自由に好きな耕作法でやってもらう。そのため、農の会の10の田んぼは、10通りの農法で行われている。これが何より素晴しいと思っている。
今年舟原で復田されたのは、上の田んぼの下田さんの所だ。一年がかりで、道を作った。そして車では入れるようになった田んぼを、2箇所耕作するようである。さらに道を作ってその奥もやられるように言われていた。何とか田んぼを戻したい、という貴い気持ちである。心底頭が下がる。こうした貴い思いが、まだ日本人にはある。それぐら田んぼには気持ちが繋がっている。田んぼをやって経済になるなど、誰も思っていない。しかし、田んぼは大切だ。こういう精神を安定させるような、機軸は保たれている。減反とか。国際競争力とか。企業参入。大規模化。どんなに政府に脅かされようと、動かない田んぼは大切だという確信がある。資本主義経済が踏みにじってきた、経済にならないことは悪である。こう言う思想がいかに、人間の生きるという本質を、ないがしろにしてきたかを、実は感じている。
麻生首相は、北海道で輸出を考えない農業を批判した。相変わらずの能天気である。麻生氏は古い。小泉時代と今は違う。現農水省、あるいは自民党は、むしろ、地産地消の主張を始めている。変わり始めている。変わらなければ、日本農業が存続しないことに気付き始めている。人間経済だけではない。政府が考えなければならないのは、出来たお米をどうしたら良いかだ。有効利用の方法を考える。これが政府の役割。遠からず、世界は食糧不足が顕著化する。それにどのように備えるかを考えるのが政治家の役割。
坊所でも、舟原でも、あしがら農の会が田んぼをやらしていただいたことが、ほんの少し、役立ったのではないか。もちろん、僅かなことだとは思う。何と、田んぼの奥の竹が刈り払われた。欠の上の方が刈ってくださったそうだ。万治年間の溜池が全体の姿を現した。素晴しい見事な景観だ。この素晴しい環境が小田原に存在することが、間違いなく小田原の財産である。これは小田原城より大切なものだ。