エルサレム賞の村上講演
村上春樹氏のエルサレム賞、授賞式講演は小説家らしい、内容のあるものだ。アカデミー賞での、「おくりびと」「つみきのいえ」の受賞。日本が文化と言う形で、発信できることの意義の大きさ。日本文化は例えば、日本食。世界で健康食と言う事で、広まっている。中華料理のように、中国人の移民した人達が、生計の為に中華料理屋を始めたのとは違う。全体的に見れば日本人が出張って行って、広めた訳でもない。段々に評価が高まり、健康的に評価できる料理であると言う事から、一部に浸透し、その味覚まで評価が高まったようだ。それはフランスのミシュランでの評価にまで現れるようになった。そもそも、日本食とは日本人の暮らしである。暮らしの凝縮した姿が食事となって現れた姿ではないか。今や、日本で失われ始めている、日本人の暮らしが評価されていると言っても良い。
おくりびとに表現された、日本人の死生観。死者として去ることは去るが、生者と連なりながら、お山の方から見守ってくれている存在。つみきのいえは見たわけではないが、加藤久仁生監督の手作りの記憶のようなものらしい。それぞれの感触がいかにも日本の文化に沿っているのではないか。そこが評価されたのではないか。アメリカ人でさえ日本文化というものに、理解を始めたのではないか。そして村上春樹氏のイスラエルでの講演。残念ながら、村上氏の本は読んだことがない。今回の講演録を読んで、作品も読んで見たいと思った。壁と卵の小説家らしいイメージの深い例え話。おくりびと争った本命と見られた作品もイスラエルのものであった。どこか審査の投票をする人達に、イスラエル作品を今評価する訳に行かないといった、意識も働いたのではないか。
壁はやはり嘆きの壁を連想する。「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。(一部抜粋)ここでいうシステムとは、個としての人間存在の尊厳を超えて、増殖する仕組みの事であろう。金融システム、投資ファンド。官僚制度もそうかもしれない。一人の人間の自由に生きると言う事を、制度として阻害してゆく、社会の在り様の事を意味しているようだ。
日本文化がこういう形で評価されることには、深い符合を感じる。日本人が江戸時代に閉じた形で育んで育てた日本の文化の価値。行き詰っていよいよ、世界各国が国家資本主義のような形に入ろうとしている。がんじがらめの末期的社会構造を、構築し直す糸口を探している。そのときに、新たな価値観の存在を探っているのではないか。競争とか、成長とか、でなく。ありのままを評価し、認め合うこと。他者を否定するのでなく。他者の存在を受け入れる姿勢の事。アメリカは又中国の人権の事を問題にしている。確かに問題はある。しかし、アメリカにも人権問題は幾らでもある。人種差別も解決したなどと言わせない。格差社会を是認する、能力主義だって、人権問題ではないのか。アメリカ型の価値観を贅沢ができる豊かさを、ヨシトスル文化を、どのように乗り越えるか。日本文化の意味を世界に噛み締めてもらいたい。それはもちろん日本人が、我が身を振り返ると言う事である。
昨日の自給作業:ホウレン草など種蒔き、タマネギ土寄せ1時間 累計時間:17時間