確定申告
確定申告が終わった。青色申告会に申告に行く。複式簿記とかいう形式で申告する。これが私には理解できていない。貸借対照表とかいう物があるのだが、実はこれが理解できない。カヨ子さんがすべてやってくれている。高校生のときは数学は別に苦手ではなかったし、受験科目にも数学はあった。それなりにはこなせたつもりだった。ところが、会計の考え方が理解できない。理解できないと言うのはおもしろくないので努力はしたのだが、ついに駄目で諦めた。それでも申告には一緒に行かなくてはならない。当然の事で、私が当事者でカヨ子さんに給与を毎月10万円づつ払っている。だから扶養家族は居ない。10万円づつ払うのは損だと言う人も居る。もう少し上手く、節税にならないというような助言を聞く。そう言う事もあろうかと思うが、税金の具合はわからないが、扶養しているつもりも、されているつもりも、お互い今のところはない訳で、10万円の給与は最低限と言う事である。
私には、あれこれ収入があるのだが、養鶏からはない。これも良く判らないのだが、私には給与はない。さらに判らないのは、必要経費という奴だ。例えば地代の10万円。これは借りているから必要経費と成る。それではこの土地を購入したらどうなるか。必要経費がなくなるだけと言われた。農地は買うものじゃない。必要な費用なのだから、毎年減価償却させてもらいたい。そうか償却される訳ではないか。自家消費というのもある。本当の所を言えば、自家消費分は自分から購入しなければいけないのだろうか。しかし、だいたいに販売できない、卵を食べている。廃棄物処理費をむしろもらった方が良いのか。何しろ養鶏は頑張れば頑張るほど、全体では苦しくなるようにできている。いい加減にやれれば、そこそこになる。農業の中の努力は、反映される部分がない。例えば、緑餌を50グラム与えるか。70グラム与えるかは、税金では見えないだろう。
絵の方の税金と成るとさらにわからない。例えば購入した絵の具の内、売れた絵に使った分だけ、経費となる。しかし、たまたまその一枚を買いたいという人が現れるのであって、その一枚だけの必要経費と成ると、販売価格から見れば、経費はないという事になる。その絵を描きに、海外まで行ったとしてもその旅費は関係がない。税金の方から見れば、私の絵を描くことはまるで、養鶏以上に分類の外である。それでも、できるだけ正直に、節税対策のようなことはしないで、申告をする。絵がたまたま売れれば、記載しなければわからないようなことだが、記載する。私の収入は書かなければ、不明になるようなものが多いいのだが、全て記載するようにしている。野菜の販売でも、わずかではあるが記載する。節税ができる税金の仕組みと言うのが、どうにも納得がいかない。それも消費税賛成の一つの要素である。
税金は、せめて一部でも目的税にして欲しい。私の税金が、インド洋の給油に使われ、アフガニスタンでの、アメリカの主張する誤爆につながるようでは、節税したくなる。これだけには使わないと言う目的税でもいい。政治というのは結局の所、税金の使い方がどどのつまり。良い政治とは、税金を上手く使う政治だ。これからは税収減少の時代になる。増える前提で全てが、進められていた。減ってゆく中でいかに上手にやるかが問われている。行政が直接行うことは、減少させるしかない。市民的に担う部分が増える。この新しい関係が問われている。行政そのものであれ、医療であれ、福祉であれ、消防であれ、警察であれ、縮小するしかない。江戸時代の自治の仕組みを再現する必要がある。基本、自給自足である。今年の税金は幾らになりますと、額が出ると、いつもそのことを急に思い出す。