小田原市の「市長への手紙」制度

   

昨日、小田原市から手紙が来た。市長への手紙の返信であった。ごみ問題に対する、小田原市の方針を聞く為に、メールで市に意見を書いた。内容については、このブログにあるものとまったく同じだ。1、広域化の現状について2、今後の行政の進め方について、3、ごみ会計について、4、住民参加の方法について、この4つについて、相当に長い文章を送った。どういう対応があるのか。楽しみに待っていた。加藤さんと、市長と市民と言う形で、対応したいと言うのがある。それを超えては接したくない。友人としてのけじめだと思っている。以前、城下町サミットを小澤前市長が提案した時、市長への手紙を出したことがある。「小田原で世界に呼びかける理由がない。彦根とか、弘前とか、金沢とか、相応しい町は幾らでもある。もしやるなら、その前に城下町と言える、体裁を整えるべきだ。そうでなければ、市民として外国の来客に恥ずかしい。」

やるべき理由の返信は来たが、まったく納得は出来なかった。が、返信があったことは1市民としてちょっと嬉しかった。今回の市長の返信によると、1、生ごみを資源として捉える重要性。2、市民参加の検討会の早急な設置。3、ごみ処理広域化については、各行政の調整のため、まだ市民に公開出来る段階でない。おおよそそんな返事であった。ごみ会計に対する、回答がなかったことを除けば、おおむね納得できる回答であった。ごみ会計はやる気さえあれば、いつでも出来ることだ。既に取り組んでいる行政は相当数に成ると聞いている。環境省もやるように準備していることで、特に広域化する前に、ごみ会計を共通の土俵に乗せる。それは広域化の基礎調査として、行わなければ成らないことである。市議会でも例の「前向きに検討する。」と言う回答になっている件である。

一番の住民参加について、早急にやると言う回答は、嬉しい限りである。ごみは住民自治の一番の教材である。良いも悪いも住民に跳ね返ることだ。これから増加してゆくに違いない、ごみ処理費についての住民の考え方が大切だ。今の暮し方では、環境破壊をしてゆくだけ、費用負担をするか、暮らしを変えるか。そう言う事が生きている以上誰もが問われている。「そんなの関係ねぇー。」という市民が70%を超えるだろう現実がある。だから、この現実を変えてゆく仕掛けを作ることしかない。それには、草の根的住民参加を作り出さなければ、解決はない。悲観的なことではない。むしろ、ここに住民自治の原点が存在するはず。ごみから掘り起こし、住民が地域で暮すことを再構築出来る可能性がある。施設を作る。道路を作る。こう言うプラス問題より、ごみのようなマイナス問題の方が、暮らしの現実に響いてゆく。

行政は既にごみ問題では、出発の姿勢で失敗している。広域化の是非と言う究極の選択に対し、住民は無視されている。何も知らされていないし、選択の余地もなかった。当時の小澤市長は迷惑施設については、行政の責任で行う。この姿勢であった。今も担当部署はその残像が残っている。迷惑施設だからこそ、スタート前から、住民に知らせなくてはならない。市民自治においては当たり前の事だろう。迷惑なことを、突然押し付ける手法が、行政の姿なのでは、対立構造を行政が作り出そうと言う事だ。長年の行政の経験から出た結論ではあろう。それが大人の知恵と言う考えも理解は出来る。しかし、もしそんな押し付けが久野地域で行われたらば、どんな紛争に繋がるかは、今までの歴史を見れば理解できるはずだ。結論を出す前に、住民ともども、ごみの事を考える。遠回りでもこの方法しかない。その為には、今やることがいくつもある。それも市長への手紙には書いた。

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