民間保険の工夫
鎌倉時代に発生して、江戸時代にほぼ究極の形まで発達した様々な、相互扶助の仕組みがある。これを現代に再生できないものだろうか。アイデアについては、難しく考えればあれこれ問題が想定できるが、本当に信頼できる人が20人居れば可能である。内山節氏が現代農業で提案している。内山氏は我が家に来てくれたときは、なにやら哲学をされているとかで、ほとんど発言もなく、瞑想に入られている印象があった。鶏小屋の隅で座り込んでいた印象の人だ。こんなに現実的な提案をされる人とは思わなかった。無尽というのはお金を出し合い、落札する金融システムだ。実際には相互扶助的なものもあり、利息のないものや、困った人が優先入札するように他の者が入札しないこともある。単純に順番性のものもある。結いの方はそれを労働力を出し合うシステムである。
現代でも市民バンクのようなものは存在し、小田原でもデイケアーの「デイみどり」はWCCの融資で作られたものである。以前向田さんといわれる方のお話を伺ったが、「市民による、市民のための、市民による非営利・協同の金融システム作り」が3年前で融資実績が3億5千万円規模で行われている。野宿者支援からリフォームまで、市民的な融資が様々実践されている。身近で思うことは、もう少し小さな輪で、結いと、つまり労働提供と、お金の提供が、並立された形の保険のようなものが出来ないだろうかと言う事である。昔の無尽講でもお金の入札をしたものが、返済できない場合はあった。このときの救済方法に、出資者の代わって神社にお参りに行くというものあったようだ。お札をもらってくることで、返済金に換えるという知恵だ。
実際的な方法を考えてみる。30人が集まる。そのうちのだれかの所で、怪我でもしたとき、30人が1万円だして、30万円を治療費に充てる。しかし、現金で出すより、労働で出したいというものは、1日労働提供する。15日の労働提供と、15万円で、急場を凌ぐことになる。これは保険システムである。さらに加えて、毎年、1万円か、あるいは労働提供を積み立てておけば、いざという時に対応できる。労働提供を借りている人は、いざという時にお金で返すか、その人の分まで労働で返すことになる。ここまでは信頼関係さえあれば、案外に簡単に出来そうだ。どんな時に出すか。火事になる。子供が生れる。怪我をする。これらは既に農の会の中で実際にあって、形は違うが、それに近い形で行われたことだ。
私は今年、子供の生まれたトレスさんの宅配の手伝いをして、牛蒡を掘ってもらった。こうしたことを、全体で共有することは出来ないか。入院保険とか、学資保険とか、様々な考えられる限りの保険を企業が運営している。そのお金が軍事産業に運用されていると言う事だってある。お金に支配される関係から、お金を権力から引き降ろす活動。これがこれからの市民活動の基本理念ではないだろうか。家を建てる、土地を買う、建築資金を銀行から借りる。こう言う事でお金に支配される。これを自分達の力量に引き戻す。この道を作り出せれば、市場原理主義の資本主義社会と一定の距離で生きる事が出来る。今後、とても混乱した状況が生れる。その中で次の社会の理念を模索する。自給すると言う事の精神はそこにあるのではないだろうか。