品川京品ホテル

   

京浜ホテルが止めるということから、従業員の独自の運営となっていたが、裁判所から立ち退きの仮処分の決定が出た。実はこのホテルに泊まったことはないが、ここで法事の食事をするのが、しばらく私たち親戚一堂のやり方だった。少なくとも5回ぐらいはここに出かけたことがある。食事が特別に美味しいとか、サービスがいいとか。そういう訳ではなく。たまたま、海晏寺というお寺の檀家である。ここの檀家になったのは明治期の事で、ここの4代くらい前になる住職の方が、私の曽祖父の和歌のお弟子さんだったらしい。それで、死んだ時にお弟子さんたちが、ここのお寺にお墓を作ってくれたらしい。詳しくは判らないが、昔は海岸が近くて、法事というと潮干狩りに行ったり、蟹料理の店に連れて行ってもらえた。蟹料理と言っても渡り蟹だった。品川の辺りは寺が多く、たぶん江戸の度々の火災の関係だと思うが、そのこともあり、法事の食事に困ることはなかった。

京浜ホテルは、あの辺りは今はなかなか食べる所がなくて、やっと見つけたところだ。駅前なら帰りやすい、集まりやすいと言う事もある。何しろ、今は地方から来る人の方がおおいい。私は小田原だし、兄は岩手だ。東京からそれぞれに離れた。海晏寺さんも曹洞宗の寺であった。たまたま私も曹洞宗の僧侶であるし、縁があるように感じていた。所が先日、行った際、宗派を離れた。独立したとこう住職が言われる。これにはビックリした。どうも上納金といったら起こられるのか、本山に納めるお金が、高くなったらしい。本山に所属する利益が何もないのに、入っている意味がないという事らしい。実に合理的というか、日本仏教のあり方は、経済優先である。曹洞宗の宗派の学校である、駒澤大学が、何と、株式投資で大きな損失を出した、と言う事で話題になったが、私にはいかにもと言う感じで、坊さんというのは、檀家のあがりで食べている訳で、不労所得のようなもので生きているのだから、株やらファンドには詳しい。

京浜ホテルの裁判の事だった。ここの事業主も投資で60億とかの損害を出したことがホテルを、手放す原因らしい。そんな話は、実は珍しい事ではない。珍しいのは、このホテルの従業員が、止めたくない。こう言って、占拠して営業を継続した点だ。それが裁判になった。そして、占拠は不法行為であると、立ち退きの仮処分の決定が出た。法律というものはそういうものらしい。と思いながら、私が陪審員だったら、間違いなく、事業主の立ち退き要求を覆すだろう。ホテル経営者が、ホテル経営をそっちのけで、何かの投資にうつつを抜かしたことがいやだ。そして、そこで働きたいと、頑張ってしまう従業員を応援したくなる。法律とは別の事だ。一般人の感覚だ。それを無理やり陪審員制度とは、法曹界の怠慢だろう。私がもし当ってしまったら、そうした偏向思想のままでやってもいいのかと、お尋ねしたい。

知り合いの会社も倒産らしい。倒産するなら早いほどいいと思う。京浜ホテルの社長が、もし人情家で従業員の生活などを心配して、倒産を先延ばしにしたら、それこそ、悲惨なことになる可能性が高い。早く決断したと言う面では、良かったのだと思う。ただし、問題はこのホテルはそこそこ繁昌していた。法事の時も結構予約に苦労したし。空いているような事はなかった。裏に大きなホテルがあって、プリンスホテルだったか。法事をこちらに移した、家族もある。そう3系列の家族が、このお寺の檀家に結局させてもらったのだ。当然といえば当然で、そちらの方が、しゃれている。京浜ホテルはもう古臭くて、今風ではない。しかし、何となく私はそちらの方が、好きだった。それは従業員が、辞めたくないと頑張ってしまうような、そうした空気は、何となく伝わってくる。今風じゃない良さがあったからだ。

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