経済異変のつづき
経済がおかしくなって、自分自身がどうしたらいいか。さらに考えてみる。農地で自給するすべを確保する。これは昨日書いた。では農業は農産物はどうなるか。経済的にはよくなると見ている。海外から入らなくなる。地域で作り地域で食べる。地産地消の流れは必ず強まる。政治もこの方向しか、農業を支えることが出来ないことに、気がついてきている。この流れの中で、どう生産するか。例えば有機野菜だから、JAS認証を取る。こう言う考えは、一切拒絶した方がいい。オオガニック食品などと言う発想はグローバリズムの産物で、今後衰退する。大規模なら生産性が上がる。こう言う発想も衰退する。小さく、小回りが利く形しか、経営できないことに気づく。これは大規模商店より、御用聞き時代に戻ることと同じだ。大規模農業にした人から、さらに経営がきつくなる。企業の海外生産は農業にも広がる。しかし、世界情勢から衰退する。その地で作り、その地で食べるという、原点に戻らざる得なくなる。
農業においては、普通に成ればいいという事だから、そう難しいことではない。農業のように、土地に根ざした業は、土地に根ざした、合理性を越える事はできない。戦後の食べる物にすら事欠く厳しい時代から、教育など、どうにもならないくらい疲弊した時代の中でこそ、ノーベル賞受賞の科学者が又4名も出た。これから本質の時代に入るのであって、悲観することはない。店を構えたような商売は衰退する。デパートより、スーパー、スーパーよりコンビニ。コンビにより宅配。宅配より御用聞き。結局江戸時代に戻る。インターネットを利用した、御用聞き宅配システムの時代に入る。何の事はない、あしがら農の会のやり方だ。人口減少時代。これは悪い事ではないが、消費は縮小する。老齢化もドンドン来る。全ての地域を限界集落と考えて対応したらいい。自分の事は自分で始末しなければならない社会に戻る。福祉のさらなる後退。
商店と言うような、中間に存在する物が、一番形を変えてゆく。人間が動かなくなる。家にいて済ます時代。地域差のなくなる時代。役所の届出、税金の届け、投票や陳情。払い込み、銀行の窓口や郵便事業。全てを家にいて済ませる。それに対応したものが、生き残る。楽な方へ楽なほうへと考えておけば先ず間違いがない。そして、各々の暮らしの重視。外より内。芸術活動はさかんになる。当然その方が歯ごたえがあるし奥行きがある。商品も当然個性的になる。多様性。個別性。経済の転換期は新しい仕事が現れる時代であり、ビジネスチャンス。20年前予測していた状況に徐々に近づいている。そのとき発想したあしがら農の会の形態は、よほど社会の常識に反していたが、これからの時代の仕事の形としては、可能性が広がってきていると思う。少なくとも、経済の異変の影響は受けない。
小さな暮らしは、豊かな暮らしであること。萎縮した暮らしではないこと。人間らしい暮らしであること。本来に戻る流れである。経済優先の価値観から、人間の幸せの価値観を創出してゆく時代に変わってゆく。誰でもが、自給できる環境を整える。幸い日本は、水に恵まれ、土壌に恵まれ、気候に恵まれている。誰もが心豊かに暮せる、基盤は充分にある。1時間100坪の自給。その技術的な体系作り。これに専心したい。暮らしの余裕の失われた時代は終わる。鶏を飼う。野菜を作る。田んぼを共同でやる。最小限の家を作る。今までやってきた、これらの技術を総合してゆくこと。小さな循環に於ける発酵技術の利用。これを整理してゆくことも、これからの課題。江戸時代の暮らしの見直し。
昨日の自給作業。堆肥などの実験1時間 累計4時間