伊藤さんの死
ペシャワールの会の伊藤さんが殺された。その若い死がやりきれない。伊藤さんの無念は、計り知れないものがあるだろう。最も死んでほしくない若者が死んでしまった。なんと言う理不尽。現地で農業を手伝っていたと言う事だ。テレビに流れる優しそうな現地での姿が、なんとも痛ましく哀しい。26歳の時からペシャワールの会にかかわったらしい。そして、31歳でアフガンの土と成る。ペシャワールの会の中でも、最も現地に溶け込んでいたという。もって行きようのない怒りがこみ上げる。何故、よりによって、アフガンに最も必要な人じゃないか。タリバンは犯行声明を出していると言う。このタリバンと言う組織は、理解を越えた組織だ。どんな、理屈のつながりによって、伊藤さんが殺されなければ成らないのだろうか。ペシャワールの会はタリバンと一定の協力関係があると、言われていたのだが。
平和への道の困難さ。簡単な戦争への道。ペシャワールの会は、中村哲医師のもう20年以上にわたる、医療支援が基本にある。しかし、アフガンで多くの人が死んでゆくのは、水の汚染にある。きれいな水を引くことが、医療より先決であると言う事で、水道の施設を行っている。そして、伊藤さんがされていたように、現地の農業の支援。住民がその地で暮してゆけるように、地道な活動を続けている。アフガンン人の、例えば、ビンラディンですら、一端客人として迎えたら、売り渡す事などしないという、武士道のような民族性があるらしい。ペシャワールの会の人達は、客人としての扱いを受けていると想像していた。タリバンの内部状況も、想像しがたい混乱があるように思う。タリバンが最も恥ずべきとしていた、行為を行った。平和への道は理不尽に満ちていて、本当に果てしない。しかし、伊藤さんの行った農業支援。この積み重ね以外道はない。
情報もたいしては持たないままではあるが、インド洋の給油継続に対する、抗議ではないだろうか。アフガニスタンの各部族間の闘争は、ソ連とアメリカの狭間で、敵になり、味方に成り、複雑に入り組んできた。大国の利害の中で、翻弄されてきた。タリバンは、ソ連の10年にわたるアフガン侵攻によって、疲弊した内戦の中で、イスラム原理主義による宗教集団として活動を始め、アメリカの支援をえて、巨大化してゆく。それがアルカイーダを育て、アメリカへのテロ。アメリカとの対立から、バーミヤンの仏教遺跡の破壊。国内の民族間の内戦状況はより複雑化している。アメリカの傀儡政権とも言える、カルザイ政権の維持はもはや不可能な状況がある。そして、米軍の空爆の激化。これは民間人も誤爆によって多数死亡している事が、伝えられている。日本の給油が、アフガニスタンの空爆の支援になっている。本当にインド洋の給油が平和活動なのか。問われている。
タリバンの中心メンバーは繰り返し、殺害されている。タリバン自体の思想的な統制も失われ、無差別的な外国人殺害を始めている。バーミヤンの遺跡の破壊時と同様に、論理的な対応などできない状況にある。ペシャワールの会といえども、安全と言う事はない。外国人は全てスパイとみなしている。伊藤さんの行為は、日本の平和に繋がっている。平和への道は、こうした全く空しいような、ほとんど無為にも見える行為の繋がりしかない。白黒つけるような、単純な発想は必ず、武力行為と言う、力の行為への道になる。伊藤さんの思いは、日本の国内に居ても、必ず未来に繋いでいける。伊藤さんがアフガンで農業を行ったように、日本において、農業をしよう。日本において農業を行うことも、伊藤さんの思いに繋がる事だ。伊藤さんの気持ちを私は受け止めます。冥福の気持ちで、伊藤さんの優しい面影を、思い出しながら、畑を耕す事にする。