農業の将来
日本の農業の将来への考え方はいくつかありうるのではないかとは思う。短期的には、世界の食糧需給状況が急激にタイトになることは無いだろうから、超高級食材を生産することにシフトすることが賢いように思える。例えば、岡山の白桃、山形のサクランボ、リンゴの富士、米ならばコシヒカリ、ササニシキ、各地の銘柄牛肉などなどの高価な食材を作って、逆に、中国に輸出して稼ぐ方が賢いのではないか。安井至(やすい・いたる)国際連合大学副学長、東京大学名誉教授
一理はある考えだと思う。中国の富裕層向けに超高級食材を生産する農業。国際競争力のある農業。のイメージだろう。豊かな社会が永遠に続くと考えれば、確かに、ひとつの道である。
オリンピックで湧き上がっている中国は、格差のきわめて大きい社会だ。中国は農業者が70%の国だ。農民のほとんどが貧困層。特に山岳地帯のチベット族のような少数民族が多い。中国は巨大な国だが、アメリカやオーストラリヤのように延々と農業可能な平地が続く国ではない。そうした日本の限界集落のような場所に、自給自足的な農業を続ける人が、大半なのだ。その大半の農民が裕福に成る、都市部を見て、何とか都市部を目指して、移動しようとする。これは基本的には禁じられている。しかし様々な手段を弄して、目先の聞く若者は都市部に出る。オリンピックの工事現場の労働者の多くが、こういう形だったと報道していた。都市部のニューヨークをしのぐような、ビル群。この格差が、どうこの先影響してゆくのか。自給自足的農業を継続してゆくことは可能なのか。
そこで、中国の目先の聞く農業会社の社長が、岡山の桃を作り、山形のさくらんぼを作る。当然の事だろう。コシヒカリを作る農家も増えている。鳴り物入りのコシヒカリは、中国で売れ残ったそうだ。当たり前の事だ。危うい事に、日本農業の将来を、本気で主張する人がいる。要するに日本人が何を目指すのかだ。日本の方向が定まらない限り、賢い農民は岡山の桃を作れと言う話が、通ってしまう。中国での、他にはないほどの格差の激しい社会が、保っているのは、70%の貧困層の農民が、自給自足をしているからだ。岡山の桃は食べないが、その地域で出来るその地域の食べ物を食べて、千年一日のように暮しているからだ。それを当然として、それで満足をして暮す、大半の庶民の暮らしがあるからだ。と言ってもいよいよ危うい感じがするが。
日本の農業は食糧の自給を目標にしたほうがいい。わたしには中国の富裕層に、食べてもらう卵を生産する気にはなれない。日本人が、生きていくと言う事が、他国の不自然な富裕層、言い切ってしまえば、貧困層を搾取している富裕層に依存する。こんな気持ちの悪い、物であってはならない。日本社会だって、格差が広がっている。魚が安い。秋刀魚は100円で売っている。すぐ上がって180円ぐらいになった。それでもいかにも安い。食品を安くすればいいというのではない。高くていい。生産者に正当な対価を払うべきだ。生産者が、消費者と同じ暮らしが出来るようでなければ、おかしな事だ。農業はあくまで、一国完結であった方がいい。農産物はよほど特殊なものでない限り、その土地のもので充分なはずだ。