食糧の国際競争力

   

お米の中国追加輸出した100トンを北京、上海だけでなく、天津や広州など計13都市で今年から販売している。しかし、追加輸出分は2月の春節(旧正月)後に販売が落ち込み、6月末までに約30トンが売れ残った。と言う事だ。案の定だ。農水省はこんな馬鹿な事に、翻弄されてきた。食糧の輸出入の問題点を良く表わしている。日本の高級果物が、アジア市場で良く売れるというので、鳴り物入りで、そうしたアジア富裕階級市場を目指して頑張っている。そんな農協が良く報道で取り上げられる。あくまで提灯記事だ。報道は無責任なものだ。実需にはなり得ない。間違ってそんな方向にカジ取りする農家が出たら、大変悲惨なことになる。もちろん大儲けしたい人は、危ない橋も渡る必要があるのだろう。農業は儲けるものではない。しかし、生きてはいける。そうした地味なものだ。アメリカの農業は、ばくちの様なものだ。これはアメリカから里帰りした、親戚の人が50年前に言っていた事だ。

食糧は本来は自分が食べる分だけ作るものだ。人に販売すると言う事はできれば避けるべきだ。しかし、ある程度分業した方が合理的と言う事もある。あくまで仕方がない範囲にしておくべきだ。忙しくて、百姓仕事をしていられないようなくらしは、そもそもどこかがおかしいのだ。半農半工、佐渡の大工さんのような具合が理想だ。その意味では、兼業農家というのは、なかなかの日本的な仕組みなのだ。この柔軟性をさらに膨らませる事が、日本の自給の方向のはずだ。今専業農家をより大型化しよう。さらに集落営農にして、規模の拡大をする。株式会社が農業に取り組めるようにして、工業分野のように生産性を上げる。こんな事が進められている。その結果は、大失敗だった米減反政策の再来。農家の農業に対する気持ちを萎えさせている。農業従事者数が、減少している。これを結論と瞑すべし。

日本の農地で、大規模農業会社が農業をするようになる。そのとき働いているのは、間違いなく外国人労働者だろう。それは自給とは言わない。日本人が本当に働けるかは、自分の知っている子ども達を想像したらすぐ分かる。農業分野の後継可能な人材はない。ばくち打ちのような農業ならやる人は出てくるだろう。しかし、「農業だけをして一生終わっていいのか。」というような、和田傳的地味な農村の暮らしを、よしとするような人間は、見当たらない。やはり、可能性は兼業農家ではないか。兼業農家は多様だ。収入的には農外収入が多い人が多数だ。年金農業だって、兼業農家の一形態だ。その意味で、自給農業者を兼業農家として考えた方がいい。少なくとも、農水省にはそれの方が都合がいい。兼業や、自給で作る農産物は、生産農家の作る販売用の農産物とはそもそも違う。良く言う、「農家の人は自家用野菜に農薬を掛けない。」

売らないでいい商品なら、見栄えなどどうでもいい。みかんの皮がソウカ病でダメでも、かまわない。自分で漬ける梅なら、黒星が出てもかまわない。そもそも農薬の手間暇がもったいないのだ。品種だって、作りやすければよかったり、辛い大根だから作っていたり。出荷しないなら、どんなに崩れやすい完熟トマトでもかまわない。輸出するような、高級果樹は食べたくない。あまい、やわらかい、いわゆる美味しい物ほど、農薬を必要とする。中国だって、農薬などかけていなかった。それを日本の商社の品質管理で、曲がったのはいけない、大きすぎるのはいけない。わずかな虫食いもいけない。どうせ自分達の食べるものではない、そこまで言うならやりましょうと言う事になった。日本の間違った、作られた消費者の好みに併せて、中国の野菜作りが変えられた。国際競争力など、一時の幻想に過ぎない。

昨日の自給作業:ジャガイモ掘りなど、1時間 累計時間:16時間

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