砂浜の喪失
湘南海岸では、砂浜の喪失が続いている。昨年九月の台風9号で、大規模な海岸浸食が起こった。西湘バイパスが6キロにも渡り崩落した。今直再建工事が続けられている。この付近は砂浜が、50m巾で存在していた。原因の調査結果が報告された。そこでは今回の西湘バイパス崩壊を人災と断定したそうだ。砂浜が形成されるためには、常に川からの砂の補給が必要である。相模川と、酒匂川の上流部に、ダムを作った事で、砂の補給が止められ、砂浜失われた。西湘バイパスが作られた。1964年に建設された時には、まだ充分に砂浜が存在し、まさか波に橋脚が洗われるように成るとは、想像もされなかった。所が、1960年代の酒匂川上流部に三保ダムの建設。1990年代の相模川上流部に宮ケ瀬ダムの建設。この頃から砂の補給が止まった。砂の補給のなくなった海岸部では、徐々に砂濱が失われてきた。
そもそも、海岸ほど素晴しい景観財産はないと言ってもいい。日本の景色の美しさは、海岸によって形成される。日本三景は丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、と決まっている。それを、崩壊して来たのが、日本の近代化だった。いつの日か海岸の復活の日が来るだろう。山には杉の植林、海岸には道路。愚かな事をしたと笑われる時代が来るに違いない。砂浜というものが見えないが、大きな役割を果たして来た。ラムサール条約では、干潟たの価値をうたい、人工的であれ、回復を目指している。それは水際というものが、開発の危機にたたされていると言う事でもある。生き物にとっは、最も豊かで、多様性が保障された場所。ここだけは、人が手を加えてはならない場所であった。
「岸辺のアルバム」と言う山田太一原作のテレビドラマがあった。岸辺とは、AからBへの移行の境界線をあらわしている。時代の移り目であり、精神の岸辺の事だろう。陸地と言う自らの存在がよって立つ場から、海という果てしない未知へ。人はいつもその瀬戸際に立っている。未知への、未来への憧れであり、大地と言う安定した場所での、存在の根拠。心の岸辺。絵を描くと言う事は、岸辺を見つめると言う事だ。見つめるより、眺めるの方が近いかもしれない。この大切な岸辺を何のためらいも無く痛めつけて来た日本と言う国家。経済だけの開発行為ほど精神の奥底を揺るがしてきたことない。砂浜など、何の生産性もない、無駄な空地としてしか見てこなかった。見て来れなかった国。海岸線に道路を張り巡らした、ことの愚かさをしみじみと感じなければならない。便利さとか、経済効率で、失ってきたものの大きさ。
砂浜の復活。千葉県の堂本知事は三番瀬干潟保存を掲げ当選した。その結果三番瀬干潟の保存が計画された。三番瀬再生事業として、千葉県が策定した手法が、今度は環境団体から猛反対が起きている。又一方にはこの反対運動のまちが絵を指摘する、環境団体の動きもある。猫実川河口域の全面的埋め立て方式に対する、問題提起がされている。いずれ、土の手法がまさるのかは、一概に言えないが、壊してしまった自然の復元は極めて困難なことだ