養鶏業の行き先

   

先日、舟原の自治会長と、副自治会長がお二人で突然訪ねて見えた。組長会議で、私のところの養鶏について、話が出たので、状況把握に見えたと言う事であった。「鳥インフルエンザが心配だという、意見が出たので話を聞きにきた。」そういうお話であった。そう言う事なのか。養鶏をやると言う事は、このような農村地域でも、そんな捉え方になってきたのかと。暗い重い気持ちになった。鳥インフルエンザの報道のゆがみや、最近の北海道の白鳥の感染などで、神経質になっていると想像される。状況把握に見えるというのは、そうなのかと、受け入れるしかないが、養鶏業を生業としている者としては、なんともやりきれない気持ちになる。自分の仕事は地域の人を不安にしてまで、やっていることなのかと思う。舟原は市街化調整区域である。小田原の地域割りとしては、農業を振興してゆく地域となっている。現在、里地里山地域としての認定を行うために協議が続けられている。

小田原は徐々にではあるが、人口の減少が始まっている。この先の国の機関の予測では、減少が強まると見ている。それに伴い労働人口は加速的に減る。地域の農業はいよいよ基盤を失いそうな情勢だ。話しに聞くところでは、舟原ではついこの間まではどの家でも、鶏を飼っていたそうだ。集落の中で飼育していたそうだ。そんな地域でも、養鶏はいまや嫌われ者になっている。話の中では、騒音の事や、臭いの事、土壌汚染の事、排水の問題。あらゆる畜産公害の話に及んだ。と言っても、自治会長も、副自治会長も、畜産について、特別な知識があるわけではない。マスメディアや、近隣地区での畜産のトラブルなどが、前提になっているようだ。そうも言われていた。私はこの地域に移って10年養鶏をやってきた。そのことはご存知の訳だ。いつでも見ようと思えば見れる。特別の問題をおこしたこともない。にもかかわらず、心配になっている。鳥インフルエンザの情報の出方が、間違っている。野鳥の白鳥が感染しているのであって、養鶏場には何の心配もない。白鳥全てを淘汰できない以上。どう折り合いをつけるかしかない。この辺りには白鳥はこないので、心配はない。

嫌がられてまでやることかと、がっかりしている。この地域に移っての10年の努力、50年を越える自然養鶏の研究は、地域の人に嫌がられる結果になってしまったのだろうか。寂しい事だが、そんな社会になってきたと思うしかないのだろうか。この地域でも当然大半の人が、たぶん全ての人が、勤め人だ。専業の農業者は居ない。この地域を守ると言う事は、農業を続けると言う事のはずだ。そう考えて、出来る限り農業を広げてきた。管理している農地も久野地域で1ヘクタールは越えている。誰かがやらなければ、荒れてしまうと考えての事だ。そんなに広げたくは無かったが、荒れるよりはと考えて引き受けてきた。農業地域は全体で維持される。一端竹薮が広がり始めれば、一部で農業を続けることは、極めて困難になる。害獣があれこれ悪さをする。農道や水路の維持も困難に成る。

舟原に新しく出来るのは、建設業の作業場だ。農村地域の調和を壊して、出来てゆく。農業が弱い産業になっているからだろう。しかも、そうした作業場には許可のたぶんない大きな建物が建てられている。しかし、推測だが、自治会でそうした建設許可について、状況把握をしているようでもない。藪になって荒れて行くよりはましだろうと聞いたことがある。それもそうだと思う。人が減ると言う事は、建設業だって、何時まで増えるかは分からない。世界情勢を考えれば、食料の増産は日本の緊急的要件だ。さらに、地域の暮らしを考えた時、農業は止めるわけにはいかないのではないか。養鶏業としてはもう何時まで継続できるかと言う段階だが、自給農業の永続性のある形は何としても、研究を続けたい。必ず意味が出てくる。その中にはどうしても鶏は必要だと考えている。しかし、地域の人の意識も変わってきている。その中での調和を考えなければ、循環型の自給農業もできないと言う事か。

昨日の自給作業:ガジュツの植え付け。ピーマン苗の植え付け。1時間 累計時間:35時間

 - 自然養鶏