市民自治に向けて
今回の市長選の結果をいかして、市民自治に向けて市民が動き出す、大きなチャンスをもらった。小澤市長も市民参加を主な主張にされていた。市民が主人公のキャッチフレーズは、加藤氏の専売特許ではない。この点に前市長の市民参加建前も偽りでは無かったと思う。実質的に市民が主体的に動き出すことと、市行政とのかかわり方が、上手く機能をしていなかった。このあたりの考え方に問題だった。場合によっては動き出した芽を摘んでしまうような事が、現実には起きてしまった。何故そうした事が起きてしまうのか。市民のごみ広域化の取り組みで、経験したことを考えておく。久野では、ダックの産廃焼却施設の問題があった。県との行政裁判までで行い、やっとダックの焼却施設は無くなる。このとき中心になって動いたの組織が、「久野の環境を守る会」だ。
この会は現在は特別な動きをしている訳ではないが。諏訪の原の最終処分場拡張問題。瀬戸建設の焼却施設の建設。荻窪と境で行われている、廃土場の取り決め。ことがあると、動き出す力を保持している。この会でも、小田原市の焼却施設については、一定の関心を持って、県の提案するごみ広域処理を研究してきた。市の環境課とも何度か話し合いを持った。当初は市の側も一緒になって考えましょうという、姿勢だった。市民のとともに考えなければ、ごみ問題は解決できない。こう考えていた。所が、1市3町そして県が加わり、広域検討組織が小田原市役所内に出来て、検討が進みだしてから、市民を排除する方針に変わる。これは行政答弁の中で、副市長答弁で迷惑施設の建設では、行政が責任を持って、計画を立てる。これを市議会に先ず伝える。その後アセスメントで、市民の意見を聞く。このような手順を答弁し、計画が完成するまで、市民には一切情報を出さない方針を表明する。
市民自治であれば、ナポリのようにごみが散乱して、大混乱が起きる。こう考えた。確かに小田原でも有り得る事だ。市民は身勝手で独善ばかり言う。君子厨房に入らず。ごみのような嫌なものは、見えないようにして置いた方が良い。それを長い行政の経験から割り出したのだろう。実はごみが散乱してから学んだ方がいい。身勝手が、どんな結果を生む紙を持って知るべきではないか。市民自治には、市民の責任がどれほど重いものかを、学習してゆく仕組みが必要だ。行政が要領よく、最善と思われる結論を、提案してしまうのでは、何時になっても市民参加の市政は生まれてこない。ごみの広域処理の問題を通して、市民自治の重さを学習することが、一番の目標ではないだろうか。市民の意見は多様で、とりまとめなど出来ないほど混乱するだろう。その混乱した話の整理係。法的な情報提供。財政的確認。県、国との調整。これが行政の役割。
市民がごみをどうするか考える所が、出発点だ。これがないなら、これを育てるのが、行政の役割。市議会の役割は何か。議員としては、広域ごみ処理問題が、国が提案した時点で、いち早く情報を知り。市民に知らせる役割が主要。ここには何が重要かを判断する、思想や方向性を持って市民をリードしてゆく見識が必要。そしてその問題に対して、行政が市民に開いた形で検討を進めているかに、特に目を光らせる。いずれにしても、市民がごみをどうするかを考える事から始まる。市民が行動を始めない限り、誰も何もしてくれない。こういう形が、目に見えるほうが良い。市民自治が進んだ地域の方が、地域が良くなって行く。行政の仕組みがこうなって始めて、市民の市民自治学習が始まるのだろう。