中国での国際緊急援助隊
5月5日ミャンマー南西部を襲ったサイクロンでは、デルタ地帯を中心に不明22万人、死者6万~10万人(国連推計)の大きな被害を出した。被災から3週間たった今も最大250万人が避難生活を送っており、必要とされている食料や水、テントなどの緊急物資の2割も被災者には届いていない。軍政は各国からの物的支援は受け入れてきたが、人的援助は友好国の中国、インド、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国などの数カ国に限定し、各30人までしか受け入れていない。
日本の「国際緊急援助隊」はJACAに所属する。理事長は国連で活躍された緒方貞子氏だ。独立行政法人と言う事であるが、日本の憲法の精神に従えば、防衛庁が省の昇格するより、このJACAが省になった方が相応しい。JACAの基本理念「人間の安全保障」の考えとは、人々が安心して生活できるような社会づくりを行うための枠組み。としている。
緒方貞子(現JICA理事長)、アマルティア・セン(現ハーバード大学教授)の2人を共同議長とする「人間の安全保障委員会」が作成した報告書では、「人間の安全保障」を「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」人々の脅威について、同政策では、紛争、テロ、犯罪、人権侵害、難民の発生、感染症の蔓延、環境破壊、経済危機、災害といった「恐怖」や、貧困、飢餓、教育・保健医療サービスの欠如などの「欠乏」を挙げています。今回アジアであいつだ。大自然災害では、国情の違いから海外からの人的援助の受け入れをためらう機運があった。何故こういう不幸なことが起こるのか。日頃の付き合い方が悪いためだ。地域でも近所隣との付き合いは、簡単な事ではない。まして国情の全く違う国が付き合うわけで、信頼感を形成する努力が、されていなければ出来ないことだ。
大災害時に日本の援助隊なら受け入れる、こう言われるような国に日本は成らなければ、日本の安全保障はない。これも憲法で目標にしたことだ。武力によらない国際紛争の解決を目指すとは、そう言う事ではないだろうか。ミャンマーといえば、「カチン族の首かご」「ビルマの竪琴」を思い出す。いずれも日本が武力進出した歴史だ。どれほど迷惑をかけたことか。中国でも同じことだ。日本はこの機会に、お手伝いさせてもらわなくてはならないはずだ。それが上手くできない。アメリカの手先の軍事大国となっている状況では、アジア諸国が、喜んで受け入れてくれるのも難しい。実に残念な事だ。
ミャンマーの軍事政権の考え方には、国民の人権の観念が乏しい。一般に軍事政権は国民を武力によって統治している為、国を形成する基本に人間が存在しない。観念的な国家体制というものが絶対であり、その従属物としての人間である。民主主義が成立する基盤がないことになる。そんなことは各国の独立した問題で、諸外国が云々する問題でない。わが政権が国民に幸せを与えているのだ。こう考える事になる。これは、明治政府もそうであった。江戸時代の方が古い時代だから、人権の評価は当然弱い。こう考えるのは違っている。江戸期の日本では人権思想はないが、違う形の人間思想はあった。明治の富国強兵政策に基づく、国民への圧迫は天皇の存在をも歪め。列強の伍しての覇権主義。そこに関東大震災が起こる。そのときに起きた。朝鮮人の虐殺。人間はこうした悲惨を乗り越えなくてはならない。明治日本をそうした国にしてしまったのは、当時の列強の覇権主義だ。アジアで植民地化されないためにはそれしかなかっただろう。そんな思いが、ミャンマーにも今あるのだろう。