加藤憲一氏の事
小田原では市長選が公示された。山田候補、豊島候補、加藤憲一候補と3人が立候補した。自民党が、民主党の豊島氏を押すような、裏の利権社会が勝つか。加藤氏が言う「市民の小田原」が拓かれるのか。分かれ目の選挙になる。山田候補は病気で県議を降りた方だ。県議以上の激務である、行政の長は難しい気がする。何度かお会いして、話したことがあるが、見識のある人だとは思うが、病気は残念な所だ。豊島氏は選挙前から、平気で連呼して歩いている。これが何週間も前からのことだ。あまりの事だ。警察が何故取り締まらなかったのか、不可思議でならない。こんなルールを守れない人が、市長に成っていいと思う人はいない、気がするが。前市長が何故推すのかの不思議も、利権で繋がっている疑いはないのか。なにせ、自民党が自民党の県議だった山田氏を推さないで、民主党の豊島氏を推しているぐらいだ。ねじれどころではない。小田原でも、福田、小沢会談の茶番があったのだろうか。
今回こそ市民の小田原をやってみる、ラストチャンスだ。加藤さんとは一緒にあしがら農の会をやってきた。一緒にというのは少し違うかもしらない。彼は独立独歩でやりたがっていた。私が何とかお願いして、農の会に誘った。それは、これからこの地に来る、次の人のために必要だと、説得したのだ。彼は「風の谷」とか言う、若者らしい農園を始めていた。農の会が市民的な農業を模索している頃、加藤氏は新しい農業の可能性を模索していた。高校生の頃から、仲間と田んぼをやったりしていたと話していた。川口由一さんの自然農に関心が深い風だった。10年以上前の事だ。随分遠くの農家の知り合いから、朝3時から、夜の9時まで、畑で働いている奴がいる。お前らの仲間か。そんなことを聞かれたのが、加藤さんだった。それはすごい体力の働き者であることは確かだ。農の会に新しく来た人が、彼のところで研修をした。いよいよ、農業一本で行く。こう覚悟を決めたと話してくれた、直後。娘さんが病気と判った。
これはある意味運命だったのかもしれない。明日もわからぬ農業。そういう訳に行かなくなった。これで収入の確実な、街の仕事に向かう事になった。ここから加藤さんはまちづくりに、専念する事になる。側面から随分と農の会を応援はしてくれたが、彼がまちづくりに惹きこまれていることが、会う都度、色濃くなっているあたりが、口ぶりでわかった。色々の祭りをやったり、新しいタイプの店作りを試みたり。街中で仕掛けを繰り返してきた。その結果が前回の選挙になった。そのころは、彼には市長は無理だろうと思っていた。能力がないというのではなく、直線過ぎて、有象無象の得体の知れないような世界で、潰されてしまいそうな不安があった。この4年間の加藤さんの学んだものは、大きかったと思う。4年前落選した事はむしろ良かった。市政と言うものを、じっくりと学んだ。今度は大丈夫だという自信が持てる。
加藤さんは漁業分野でも、実際に舟に乗って働いた。農業でも土を耕して働いてみた。街でも実際のビルの運営にかかわった。一労働者として、各分野で働いてみた経験が、実際的な人間に変えた気がする。理想主義者的な、ある種の不安が消えた。これからの市政は厳しい所が連続する。確かに小田原は可能性に満ちてはいるが、この可能性を拓くには、甘い夢を語る訳にはいかない。加藤さんのように、市民の負担をはっきりと述べる、市長候補というのは珍しいと思う。しかし、そういう人に行政の長を任せる状況だろう。この先、更に厳しい社会状況が押し寄せるだろう。その時の舵取りは、夢ある小田原どころではない。どう市民が痛みを分け合うか。負担を分担するか。それには市民が主体的に、市政に参加してゆくしか、道はない。その道を開けるのは誰か。これが選択の分かれ目になる。