67回水彩連盟展の分析

   

7日には、会場に一日いた。入場者数は、過去にない数だそうだ。月曜日にもかかわらず、確かに、入場者が切れない状態だった。1日2000人を越えた日もあるようだ。以前から、水彩連盟展は入場者数が多い方の会ではあったが、上野から六本木に移って、ますます入場者が増えている。昨年は新しく出来た国立美術館と言う事で、入場者が増えるとは思った。今年増えて居ると言う事は、美術館自体がやはり上野より集客力があると言う事だろう。上野からの移動を危惧する意見もあったわけだが、移動そのものは成功した。上野は公園の中にあり、絵を見る気分が高まる。導入路がいい。六本木はビルが乱立で、緑といえば、青山霊園ぐらいで、全く違う気分になる。段々には、美術館を取り巻く環境も変わるだろう。これだけの人の出を商売が何時までも黙ってはいないだろう。

ともかく入場者増は嬉しいことだ。水彩画というものが、最近人気がある。親しみやすい素材。自分でも水彩画を描いている人が多いと言う事が、わかる。連盟展への出品者も、年々増えている。若い人は少ないが、団塊の世代が定年になって、水彩画でも描いてみようかと言う事かもしれない。女性の5,6十代が一番多い。油絵の公募団体は出品者の減少、入場者の減少と聞いている。特に50歳以下の鑑賞者を見かける事すら少ない。水彩連盟展は入場料700円。70歳以上に成ると無料。この無料の人がかなりの数いる。何処の会でも無料らしいから、絵の好きな人には、六本木は駅そばで、気軽に来れる、なかなかの楽しみだろう。団塊の世代が若手だ。あと5年このままだと、公募団体展は平均年齢で後期高齢者の組織になる。でも絵を描いている人は、妙に若い。元気だ。

水彩連盟は水彩画のデパートだ。このように発言した人がいた。絵の方向性は持たない。どのような絵でも受け入れる。主義主張が強くあり出来た会でなく、各派の集合した、「連盟」である。水彩画の見本市のような会場だ。今回、時間をかけ分析してみた。私が水彩画と考える絵を、数え上げてみた。作品は全部で685点飾られていた。その内102点が水彩画の本領を発揮していた。15%。会員・準会員の作品をみると。水彩画と考える作品が49点だった。18%程度。見方としては、材料を分析したのでなく、水彩らしい範囲。水彩という材料を生かして使っている絵、これを選んでみた。反対から見ると、8割以上の絵は他の素材で取り組んだ方が、相応しいと思われる素材感の絵であった。いずれにしても、見に来た人が、水彩画はどこにあるのですか。これも水彩画ですか。こう言われるのも当然結果だった。「私たちに分かる水彩画はどの辺にあるのですか。」これは傑作な質問だった。

今までのところ、会には発足以来、自由というか、融通無碍というか、考えを持たない、方針が在る。ある意味、悪平等のような所がある。公募団体が、閉鎖的で家元制度のようなところが多い中で、水彩連盟の自由主義は、評価されるべきところである。それが、アクリルという素材まで、水彩の範疇と認めた。その結果、いつの間にか、水彩表現の魅力が、疎かになっているきらいがある。「強い」という価値観が競争の中で、評価されやすい。弱い表現の魅力。目立たない「弱い」微妙な良さ。これも水彩素材の価値としてありうる。更に「大きい」この評価もおかしなものだ。「小さい」絵の魅力も水彩画の世界だ。水彩をあえて表現素材として選択すると言う事は、水彩の透明性や、微妙な色合い。にじみ。さらに、手軽さともあいまって、考えや、見えたことの、骨組みをすばやく捉えると言う事がある。セザンヌの油絵と水彩を較べると判りやすい。油絵に負けない。こんな意識はもう過去のものだと思う。

追記、素晴しいと感じた人。白井邦枝氏、畦原信子氏、飛鷹玲史氏、大山晴義氏、佐藤ヨウ子氏、磯貝雅子氏、大嶋直子氏、北野喜代美氏、高橋やよ子氏、何故か一般出品の人だけになった。最も印象に残った絵は、遺作の小林康美氏の「警固屋海岸」であった。

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