セルトレー播種機

   

安藤工房の制作の素晴しい、美術品のような「種蒔機」でセルトレーに播種している。この機械がないと、1枚の288穴のセルトレーに播種するのに、20分かかる。100枚とすれば、10人で蒔いたとしても3時間半はかかる。播種の作業には、土を振るって、セルトレーに入れる人、それを撒きよい深さに、土を抑える人。セルに上手く種が入っているかを補足する人。蒔いたセルトレーに、覆土する人。水を与えて、積み上げる人。全体の流れで言うと、種蒔き以外の作業に倍の人員が必要。播種機が無ければ不可能。3つの播種機を使うと、10人は居ないとならない。逆に言うと、10人なら、3台の播種機で回る。播種機が作業のペースの鍵になるので、播種機では、1枚2分。10分の一の時間になる。つまり、10人力。そこで、100枚のセルトレーに手播きするには、2時間30分の作業と成った。これは、グループ田んぼでは許容範囲で、良い速度といえる。

舟原では、2反5畝の田んぼに、200枚のセルトレーを用意するので、頑張って5時間の作業となる。午前中種蒔きをして、食事をして、午後は苗代に並べる。不織布のパオパオをかける。これで夕方までの良い時間配分になる。午後は、次のグループの新永塚田んぼが種蒔きをして、4時くらいから、田んぼに並べる。これで何とか、2グループがうまく納まる。何度も播種の流れをシュミレーションしていたが、実際にやってみると、何箇所か違っていた。人が一直線に配置できないので、流れ作業が上手く導線が出来ない。作業が終わったセルトレーを運ぶ役を誰がやるか。作業を中断して運ぶのでは、時間ロスが出てくる。種蒔きは若い人が良い。目が悪い、老眼の人には、どうもこの作業はまずい。種の数が見にくいという事では、種に色をつけるというのはどうか。種の陰干し、三つの播種機ごとの配置も大切だ。当然、種補足係りにも流れのなかで、配置されなくてはいけない。

舟原田んぼは数が多いので、合理的に流れを作らないと困難な事になる。途中で飲むお茶の準備も魔法瓶にしておこう。グループで田んぼをやってゆくと言う事は、この辺のノウハウが一番に重要。大豆の会もだんだん洗練されてきたが、田んぼのほうも、かなり合理性が出てきた。試行錯誤もそろそろ、完成形に近づいている。農の会で蓄積したものは、市民が農業に取り組み際の、良い事例に成ると考えている。農家がやっている農業とは、全く異なる流れを作らないとならない。苗代でも書いたようにアレコレ細かい調整がいる。当然田植えをやるとしても同じような、細やかな準備が必要となる。日常の管理だって、どんな約束で、誰がやるのか。この辺も、実はグループで作業を進める。大切なノウハウだろう。草を出してしまえば、大変な労働になる。どうやって除草剤を使わないで、草を減らすか。この技術も重要。秋の稲刈りから、お米になるまでは、作業が天気に追われる上に、集中する。この辺のスケジュール配分も大切。一番農家の人と違うのは、田んぼを市民がやりたくなる気持ちを、充分知った上で、作業の中で生かす事。

この素晴しい播種機が出来上がったところが、農の会力量だと思う。多種多様な職種の人が、存在する。それぞれの人が、それぞれの能力が生かされる集合体が、農の会だと思う。安藤さんは一流の創作家具作家だ。その人が、田んぼの事も熟知している。会ではセルトレーの苗作りの可能性を探って、試行錯誤してきた。そして、播種機の試作品をつくった。一応は出来たが、当然機能的に不十分なものだった。それを見てくれた、安藤さんが、改良を加えて、製作してくれたのだ。この連携が素晴しい。たぶん他の会では真似の出来ない、連携だと思う。これは、安藤さんのように、優れた技能者だけが、ありがたいという意味でない。旗を振ってくれる人がいてこそ、良い作業になる。グループ田んぼの素晴しさは、誰にも出来る役割がある、という田んぼの多様性。誰もが生かされる、自分が役に立つ、こういう気持ちこそ。一番継続してゆく支えだと思う。

 - 稲作