髪型で判るもの
2025/07/11
石垣に来てから、四軒の床屋さんに頭を刈って貰った。理由は行くとていげいに閉まっている。仕方が無く他のお店に行くことになる。と言うことになる。店は開いているのだが、人がいないと言うことも何度かあった。それで家から近い四軒のお店に行くことになった。
石垣の床屋さんの特徴は、洗髪が丁寧だと言うことではないかと思う。丁寧に洗ってくれるので、洗髪だけに行きたいくらいだ。洗髪代を2回分払うから、もう一度お願いできないかと言ったらはっきりと断られた。ヘッドマッサージというものに近いのではないか。これは4軒とも共通したことだったので、案外石垣島の床屋さん共通項かもしれない。
床屋さんはそれぞれの流儀があり、職人なのだと思う。だからお店に行き髪型を指定してお願いすることはない。得意の髪型を好きにやって貰えば良いと思っている。どのみち大差は無い。そもそも曹洞宗の坊主なので、長年坊主頭にしていたのだが、坊主頭も変わっていると見られるのが嫌で、その地域の普通の髪型が良いと思っている。
何でも良いと言いながら、普通を望むというのもおかしなものだが、髪型で目立つ人がダメなのだ。男ではトランプ氏。女の人では日本会議の桜井女史。髪型が特殊な人は自己主張が強い。見た目で目立つようなことは極力避けたいタイプだ。しかし、そもそも汚い系なので、年寄りになったので汚いで目立つのは、気をつけなければならない。
ひげが生えているので汚いという自覚はある。しかし、これは理由がある。そもそもかなり皮膚が弱い。カミソリでひげを剃ることは出来ない。顔中がカミソリ負けになる。血も必ず出る。カミソリが当たるとひどく痛い。だからどこの床屋さんでもひげそりだけはお断りする。と言いながらも、断っていても勝手にやる人もいる。
断っても何故かやる床屋さんもいる。床屋さんは職人なのだ。自分は丁寧にやるので大丈夫だというわけだ。それでも我慢すれば良いので耐える。どのみち家ではひげそりが出来ないのだから、すぐひげは伸びてしまう。だから、バリカンで短く刈って貰うだけをお願いする。が、それでは納得しないのが床屋さん。
やはり職人さんだから、自分流があり、ひげをそり残して終わりにはしたくないのだろうと思う。どうしますかと一応は聞いてくれる。任せるので好きな髪型に、短くしてくださいとだけ言う。案外面倒くさい客なのかもしれない。やはり、石垣スタイルという物があるきがする。短めである。昔で言えば慎太郎カットである。と言っても今時理解できる人は少ないのかもしれない。
石原慎太郎が若い頃短い髪型だったのだ。それが流行して、若い俳優はみんなそういう髪型になった。小説家のイメージとはほど遠く、何となく慎太郎カットが流行になった。子供の私も、床屋さんで勝手に慎太郎カットにされたことがある。当然何が良いのかなど考えもしていない子供の頃である。床屋さんが練習にでも勝手にしたのだと思う。坊ちゃん刈りが定番のよい子だったので、家に帰り怒られた。不良だというのだ。
当時は短く刈るくらいで不良などと言われた。今で言えば、緑色に髪の毛を染めるようなことなのだろう。そういえば、髪の毛を染めるというのもよく分からない。何のためにあんなことをするのか馬鹿馬鹿しくて成らない。知り合いの建築家のお母さんは、白髪染めで死んだ。本当の話だ。私は汚い白髪頭だが、黒く染めるなど考えたくもない。
何か自分をいじくる感じ自体が嫌なのだ。黒かろうが白かろうが、そのままが良い。そしてどうでも良いから、床屋さんにお任せして、その得意な髪型にして貰えば良い。そもそも似合う似合わないなど無いわけだ。短くしてくださいとお願いするだけなので、石垣ではかなり短くしてくれる。
3ヶ月ぐらい行かなくても良いぐらいにしてくれる。この点では気に入っている。小田原で通っていた床屋さんは、毎月1回ぐらい通わなければならない髪型にしてしまう。確かにそうする方が、営業的である。しかし、石垣の床屋さんにはそういうことは考えもしない。慎太郎カットぐらいに短くしてくれる。
ここまでは実は前段で、おかしな髪型のことを書きたかった。つまり見た目にこだわる人のことである。ルッキヅムという物のことかもしれない。見た目重視の社会が進行していることについてである。見た目の比重が高まった社会と言うこと。と同時に、コンピュター革命の結果、人間性の意味が薄れているのではないかと言うこと。
入れ墨という物がある。入れ墨を入れている人は日本ではまだ少ない。温泉施設など、ファッション入れ墨の人も入場お断り、と明確にしているところがほとんどである。それでも、小さな入れ墨をタオルで隠してはいる人を見ることはある。どうだろうか日本では2%程度と言われている。
世界から見れば明らかに少ない数字だろう。入れ墨はヤクザというのが日本の伝統。ネット情報であるが、今年実施された世界各国の14歳から65歳までを対象にした調査では、世界で最もタトゥー人口が多いのはイタリア(48%)、次いでスウェーデン(47%)、アメリカ(46%)という。ここでは日本では2.5%と出ていた。いずれにしても海外ではかなり多く半数近い国がある。日本が極端に少ない。
日本で就職試験の時に、つまり試験のあるような大きな会社では、見えるところに入れ墨があれば、入れてくれる会社は少ないはずである。はっきり明示して無くとも、入社試験に入れ墨を見えるようにして行く人は少ないのだろう。大企業に入りたい人は入れ墨を見えるところには入れない。
若いときにイキガッタ勢いで入れ墨を入れても、その後除去するという人はかなり多いと思われる。入れ墨除去の専門店がある。結婚を機に除去する。就職を機に除去する。2,5%の国ではそういうことになる。何か特別な人では困るわけだ。それは入社試験では緑色やオレンジ色の髪の毛の人も合格できないだろう。
つまり見た目主義、ルッキズムとの関係が入れ墨にもある。最近の世の中はどんどん見た目主義である。そして見た目の傾向が、入れ墨とは逆の、人畜無害方向に進んでいる。日本の社会が強い人間や頼りになる人間よりも、穏やかで優しい人を求めているのだろう。その一方で、特別な髪型で自己主張する人が現われる。
一般的な傾向に対して、最近表れてきたのが、妙な自己主張タイプである。人気稼業のお笑い芸人などには自虐的な容貌を演出する為の髪型。不健康に太った人や卑屈な印象を与える人が多い。負の自己主張と言うことなのだろう。昔の話芸の芸人落語家は自分の印象を消すために、通り一遍であるように努力したのと、好対照。
沖縄好きの話に、週末に沖縄に来て、何をするでもなく床屋に行き、パチンコ屋に入り、スーパーにより。ただそれだけで翌日帰るという話があった。納得行くところがある。沖縄の空気を味わえば良い。それは珊瑚礁でも青い空でもない。沖縄にある普通の暮らしの一端を、床屋さんで味わいたいだけなのだ。
床屋さんはそれぞれの地域のスタイルがある。石垣島にも全国チェーンの床屋さんが一つあるが、これでは面白くないので、私は行かない。やはり、地元で発生したような床屋さんが良い。床屋さんはその土地を感じることが出来る場所なのだ。そして、石垣なら石垣スタイルに刈ってもらえる。
それが石垣島では一番目立たないはずだ。ところがこれで小田原に行くと、何でそんなに短くしたのと言われる。石垣スタイルというしかない。石垣島ではほとんどの人が短いので、それに合わせていると言い分けることにしている。もちろん本当はそういうことはない。