反戦ビラ/最高裁有罪判決
立川の事務局から緊急の通知があった。最高裁判決で、上告棄却決定。立川・反戦ビラポスティング裁判。4月11日に判決が予定されているが、何と、有罪が確定した。驚くべき判決だ。私は細々ながら、支援を続けさせてもらってきた。上申書も最高裁に出させてもらった。ビラを配ったくらいで、75日間も勾留されるされるような国家は、権力の暴力行為の容認、としか思えなかった。まさかこの裁判が有罪になるなど思ってもいなかった。それほど日本の司法が、ゆがんでいるとは。一審では、無罪、高裁では、有罪、そして最高裁で、有罪。一体何が起きているのか。自衛隊の官舎に、イラク派兵反対のビラをポスティングした。直接自衛官に訴えたい、気持ちは良くわかる。これは確かに、管理する国、自衛隊にとっては、相当に痛い所であったのだろう。自衛官の中にも、「何故」という疑念が湧いて当然の、理由なき派兵だ。今のイラクの状態が指摘されていた。「何故、アメリカにそそのかされて、こんな戦争に行かなくてはならないのか。」
痛いところを突かれていた、自衛隊管理者は、逮捕の2004年2月以前から、警察は情報保全隊に協力を依頼し、逮捕を計画していたことが明らかになる。当初立川署は、ビラまきへの現行犯逮捕を考えていた。2003年12月の段階で、立川署は官舎・官舎住民への現行犯逮捕への協力を依頼。情報保全隊が仲介するかたちで、官舎住民への「ビラまきを見たら110番」という体制の徹底が図られた。さらに同12月、情報保全隊の立会いのもと、立川署が官舎を実況見分。現行犯逮捕に向けての共同作業が行われた。年が明けて2004年。1月17日のポスティング時に逮捕できなかったからか、警察は令状逮捕への準備に切り替える。情報保全隊に依頼して、官舎側に再度の被害届けの提出を要請。さらに、ビラまきを目撃した住民を対象に、「誰がビラをまいたか」を特定するための面割りを行うために、情報保全隊が立川署への協力を行った。同資料にはテント村メンバーの個人情報も写真つきで含まれており、恐らくは公安警察から渡された資料だろうが、個人情報の取り扱いという面でも疑問が残る。
こうして、ポスティング逮捕に至る。果たして、官舎へのポスティングが、75日も勾留されなければならない重大犯罪であろうか。もしそうであれば、私も何度も逮捕されなければならない。ビラを持って、自分の考えを伝える。この程度の事が、何故許されないのだろう。意見は違って当然。互いに、議論をするというのは、民主国家の基本だ。意見が違うから、一切を聞きたくないという事では、民主主義というものは、成立しない。異なる思想も、宗教も違いを確認し、互いに尊重する。これは市民の義務のようなものだ。市民に於ける思考の訓練こそ、最も日本人が民主主義成立の為に、学ばなければならない、姿勢であろう。何故、イラク派兵反対に対して、そこまで拒絶的なのか。寸部の議論の余地もないことなのか。アメリカの言いなりで、考えないでいいという事なのか。
11日に有罪判決理由が明らかになる。注目して欲しい。イラク派兵ビラの内容には触れないだろう。最高裁には国民に対し、どんな形のポスティングなら、罪にならないのか。分かり易く説明してもらわなければならない。これは表現の自由にもかかわる、人権の基本的問題だ。生きると言う事は、伝達したいと言う事でもある。芸術表現は全てそれが根本だ。普通に暮す私たちに、表現法は限られている。直接ビラを持って伝える。許される範囲の事ではないのか。私が舟原で養鶏を始めるとき、その内容を集落の人に伝える為に、案内のビラを作り配った。そして、見学会の案内も配った。こうしたビラ配りが違法なわけがない。しかし、これすらも最高裁の判決を見ない限り、国の法解釈はまだわからない。養鶏場の案内など見たくもないという人が居るかもしれないのに、一方的に配る。たぶん、ポストまで、入る事が、不法侵入と言う事になるのか。それなら、我が家を訪ねる警官が、庭を通過して玄関まで来るのは、不法侵入ということか。