太陽光発電の減少
07年の日本の太陽電池生産量は92万キロワットで、前年比11・3%減少したことがわかった。政府の掛け声だけの新エネルギー政策の実態が見えてくる。温暖化対策の京都議定書。循環型の、新エネルギーへの転換。標語としては繰り返しているが、具体策は後退している。何の対策もないのでは、CO2削減の約束が達せられる可能性は、少ない。福田内閣ほど、政策を持たない政府は日本の政権の中でも珍しい事だろう。安倍氏が特にいけなかった。憲法改定やら、再チャレンジやら、訳のわからない事を主張して、肝心の実務がなおざりになった。同時にそれに付き合うように、民主党の姿勢も前向きな所がない。企業別で7年連続1位だったシャープ(大阪市)のパネル生産もドイツのメーカーに抜かれた。ドイツやスペイン、ギリシャ、韓国では、太陽光発電からの電力を電力会社が優遇価格で買い取る制度を導入し、市場が急拡大している。
太陽光発電を否定的に考え、主張する環境派の意見も多い。もっと合理的な発電法がある。あるいはパネル生産が資源の無駄だ。しかし、今必要なことは、小異を捨てて、原子力発電の危険を考える方が大切。NO2問題が深刻な火力発電であっても、原子力発電のリスクと比して考えなくてはならない。それほど、日本の原子力発電所は、危機的状況。全ての発電方法対、「原子力発電」の構図で考えたい。人類に対する日本人の緊急の責務だろう。ソーラーパネルが、日本の屋根全てに乗れば、丁度原子力発電所の発電量になる。費用も同レベルだ。日本の屋根というものを見てみると、実に様々だ。桧皮葺、茅葺もまだある。瓦屋根がやはり多いいが、小田原は震災以来、瓦は避ける傾向があるそうだ。トタン屋根。今は鉄は無くなり、ガリバリューム鋼板。鋼板でも銅葺きやら、素材は多様。スレート。あるいは石に見えるプラスティク素材。極端に言えば同じ物がないほど様々だ。これにソーラー屋根が加わって欲しい。
この滅茶苦茶の屋根の様子こそ、多様で、節操のない日本人らしいといえる。おかしな混乱だけど、これを現日本風景。何でもやってみる姿だ。ソーラー屋根が割り込んでも日本の屋根なら、そうおかしくはない。私の家は銅葺き、これが情けない。せめてトタンなら、と思うがそういう家だったので仕方がない。屋根から集める水も、銅では飲めない。日本の多様な屋根がすべてソーラーパネルになる日。それは原子力発電のなくなる日。太陽の恩恵を直接受けて暮す。このありがたさを、コストがどうのばかり言う人の気が知れない。産業技術総合研究所の研究では-プラスチックフィルム太陽電池の実現に向けて大きく前進-約4%と有機薄膜太陽電池として世界最高レベルのエネルギー変換効率を示すことが明らかとなった。さらに、アメリカの会社では、今までの半分以下の価格で、倍の効率ののソーラーパネルが販売された。この分野の技術革新は早い。
世界では最も拡大している発電分野であるにもかかわらず、日本は後退している。いかにも日本社会の衰退を感じさせる現実だ。日本政府が、太陽光を無視する理由、産業電力に不向きで、あくまで家庭電力だからだ。暮らしは二の次。太陽光発電量が増えてゆけば、大量消費の工業用電力が、割高にならざるえない。大量消費工場では自家発電となる。電力会社は倒産する。暮らしにおいて、エネルギーを購入しないで済む、このシステムが重要。現状、ソーラーシステムが割安か、割高か。こんな議論が多い。その発想は、食料を40%しか自給しないでいることと同じ。中国から輸入する食糧は安い。安ければそれでいいのか。エネルギーの大半を輸入していて、平気でいる。効率ではなく。暮らしの基本と成るものは、できる限り自給する。この考え方が大切だろう。シャープは27日、薄膜型太陽電池の年間生産能力を6ギガ・ワットに引き上げる計画を明らかにした。日本の一般家庭換算で、150万世帯分にあたる。2011年をめどに海外で電池生産を始める計画。