再生紙偽装

   

昨年は、食品偽装が表面化して大騒ぎしたが、これは食品にかかわって来た者として、さもありなん、と感じていた所で、今更なんだと思っていた。所が、今度は再生紙が、再生紙ではなかったと言う、これは正直ショックだ。紙はピースカフェの発行でも大いに使っていて、できる限り再生紙を使いたいと言う事で来た。所がこれが、騙されていたらしい。製紙業界大手5社全てがそうだったわけだから、日本の企業の体質が、如何なるものか透けて見えた。要するに儲かれば何でもする精神そのものじゃないか。口先では上手い事、企業の存在が公益的なもので、社会の目的にも適うものであるかのように、体裁を発言するが、資本の本質通り、利益に向けて偽装まですると染みた。

再生紙を作る技術は初期困難を極めていた。環境コストからも、問題ある手法だと言われた。それが技術的に解決が出来たように、発表してきた点に始まる。再生紙がコスト高になることは、常々言われていた事だ。現実に再生紙は価格が倍以上する。そのことは、もう消費者にも当然の事として受け入れられてきた。コストとは何か。企業としてのコストもあれば、社会更に、地球と言う器としてのコストもある。エコとは、地球規模でのコスト計算の事だ。これが企業規模で吸収できない場合は幾らでもある。それが製品価格に反映し、それでも使おうと言う、地球規模のコストを意識する人々の存在で、支えられる。それを、正に裏切る行為だ。初めから技術が確立できないなら、それを表明すべきだ。再生紙と言いながら、あまりに白い。何かおかしいとは思った。そんなに白くする必要がない。しかし、製紙会社の固い頭では消費者の求めるものは、より白い紙だと思い込んでいる節がある。その白さでで行き詰まり、偽装につながったのではないか。

新聞紙も昔より随分に白い。あれも90数パーセントがは新聞の再生紙だと発表してきたが、大丈夫か。白くする為に薬品を使う。この薬品の無害化に又コストがかかる。昔のわら半紙程度の色でも充分だ。再生紙の魅力。最高の水彩紙は、シーツなどの綿布の再生した、ラグと言うものから作られる。これは決して、バージンの綿からでは出来ないものなのだ。ここが水彩を描く喜びだ。散々シーツとしての役割を果し、あるいは下着として、もう破けて駄目だと言う事で、水彩紙になる。それに描くのだから、気持ちも違うと言うものだ。再生紙など、無駄な不合理な考えだ。と言うような環境論者が発言している。コストを考えれば、目の前で朽ちてゆく間伐材を使え、などと発言する。本当のエコは、再生だけじゃない。割り箸は大いに使えなど、使い捨てがエコの事もある。箸を洗う水のコストや、森林の問題など持ち出して、一見そうかと思わせる。

実は、社会と言う器がゆがんでいる事は、そのままの前提条件にして、一つ一つの事象をそのゆがみの前提で検討すると、おかしな結論が出てくるのだ。本質的には、社会を大きくエコの方向に、定め、全てをそこから逆算すれば、もったいないと言う普通の感覚が、間違っていない事に気づく。森林の問題が、行き詰まっている事の解決を割り箸に求めれば、そこにはとんでもない詭弁も出てくる。本来の森林のあり方に、つまり再生可能な森林の管理を社会的行為として、位置づけ、その上で、割り箸の事は考えるべきなのだ。目先に踊らされては駄目だ。再生紙が偽装であった事は、大企業の企業倫理。それ故に、報道や、新聞は、食品に比べて及び腰だ。はっきりと追求がされていない。朝日新聞では古紙が中国に買い占められる所が問題であるかのような不思議な記事を出している。今後の展開を、注視しなければならい。

 - Peace Cafe