アシダカグモ
大きな蜘蛛がいた。足を入れない体長が、4センチ。雌のカブトムシぐらいだった。アシダカクモというらしい。時々は見かけてはいたが、これはそれより一回り大きかった。計って4センチあった。頭に黒い紋がないから、雌だ。図鑑では雌で3センチと表記されているが、4センチのものもいると言う事だ。ひよこの孵化の小屋を片付けていて、見つけた。おとなしい奴で、逃げたりしない。くもの巣の様なものもない。のそのそしていて、愛嬌もある。クモとか、蛇が嫌いという人がいるが、これは不思議なことだ。蜘蛛も蛇も悪さはしない。ネズミやゴキブリの天敵だから、大切にしなければいけない。こののそのそした奴が、すばしっこいゴキブリを食べると言うから、捕食の際変身するのだろう。
蜘蛛の巣があるのがいけないという、自然養鶏の指導をした人がいる。蜘蛛の事も、自然の事も何も分かっていないのだと思う。蜘蛛の巣があると、スズメは嫌がる。その周辺は飛ばない。鳥の類に巣が壊されないように、わざわざ目立つように、巣を光らせる種もあるらしい。最近温暖化だから、熱帯性の毒蜘蛛も生息するらしいので、油断は出来ないが、普通にいる蜘蛛が病原菌の元凶とか、そんなこともないから、大切にしていて、間違いがない。子供の頃、天井から、突然するすると降りてくる、盗人蜘蛛と呼ばれたくもがいた。オニグモともいった。背中の模様が、丸で鬼のようだったからだ。これが来ると泥棒が入るとも言った。大きさは小さく、1センチぐらいだったと思う。竹薮の脇などに沢山ぶら下がっていた。ついでに調べてみると、正式なオニグモとは大きさ模様巣もまるで違う。子ども達が勝手に、読んでいた名前だったようだ。
育雛小屋だったところを、農機具置き場にするために片付けた。越してきた時からあったわけのわからない、炊事場と、トイレがある。便利なようでめったに使わない6畳ほどの小屋だ。周囲の壁の概観は杉皮葺きで竹で止めてある。しかし内側ベニヤ張りで、その下の方は、ステンレスが張ってある。それでトイレがあるのだから、こんなに奇妙な小屋はない。外観も凝っている割りに屋根は、波板トタンで葺いてある。このちぐはぐな感覚は、やはり作った人の思想を表わしている。作った人はずいぶん前になくなられたわけだが、残した家に、考え方を残している。だから、他人の作った家に住むと言う事は、その人から何らかの影響を受けていると言う事になる。
道具置き場が出来ると、農機具が一箇所に集められるので、便利になる。農機具は妙な形をしていて、整理の難しいものだ、壁に立てかけるか、吊るすしかないから、どうも場所取りになる。最低限の道具にしなければ困るのだが、年に一回しか使わないが、どうしても必要と言うような、融通の利かない道具が多いい。田んぼのころがしなど、他の作業には、全く融通がない。鍬でも、何種もないと、用が足りない。シャベルなども、7本ほど、分散しておいてあるという、何とも情けない状態だ。これを整理する。これが今年の最後の仕事で進めているのだが、整理する程、実用的でなくなるようで、混乱のまま受け入れる。つまり、いい加減でも耐えられるような、混沌のままの受け入れ精神。こっちの方が重要かもしれない。蜘蛛が不気味だと言うのも、故なき濡れ衣だ。つまり訳のわからん整理の付かない奴を、どう納得するかと言うのも、重要だろう。