水彩人展

   

今日から水彩人展だ。10月5日から14日昼まで。朝9時から夕方5時まで。上野の東京都美術館で、開催する。昨日は展示に全力を尽くした。大きく4部屋に分かれて展示している。今回の水彩人の展示は、東京都美術館で行われた美術展の中でも、屈指のものではないかと、言える展示になった。4部屋の特長を生かして、最善を尽くした。全部で70点の作品が並んだ。それぞれの作品の主張が生かされて、それで、「水彩人」と言う全体の主張が突き通るように、限界の仕事をしたと思う。たぶん東京都美術館の中でも、一番不思議なギャラリーを今回は利用している。やたら天井の高い場所。普通の居室程度の天井の所だけれど外光が入るところ。そして、巨大と言ってもいいようにだだっ広い広がった空間の部屋。それぞれの部屋の持ち味を生かしながら、どのように連携するか。ともかく、最善を求めて、試行錯誤した。いい展示になったと思う。まさに自画自賛という訳だ。

水彩人のメンバーは、それぞれに展示にかけては、経験も深いし、様々な場面で責任を持って展示をして来たと思う。その経験の集大成のような展示だった。先ず、4つの部屋で、メンバーは決めて置いた。当然の事だけど実際に作品を、予定位置に置いて見れば、予想外の事がおこる。メンバーの入れ替え。壁の変更。作品の並べ替え。更に作品の個性が際立つように、展示位置の検討。これもメンバーが、自分の絵に対する考えと、会全体の事を見渡しながら動けることが条件になる。これは絵を描くセンスとは又別で、いい展示の展覧会と言うのは案外少ないものだ。絵を描く人は、見る人の立場になれないタイプの人も居る。例えば、絵を見るための絵までの距離。絵によって違う。離れて見たい絵、近づきたい絵。これも調えないといけない。

水彩を本道と考える者は極めて少ない。日本画の下絵。油彩画のスケッチ。手軽なものとして、軽く見られがちだ。水彩人の、水彩画の探求は水彩と言う素材にこだわり、その新しい地平を求めて、試行錯誤してきたのだと思う。水彩らしい水彩。と言うと、とかく情緒的な表現とされがちな、素材。その誤解を取り払い、水彩素材が、より直裁に、本質を描きうるものとして、探究してきた仲間だとおもう。表現の事大主義、もったいぶった遠まわしな語り口を避け、作者が捕らえた、物の本質、それから来る哲学が、尾ひれ無く表現される事。もちろん素材に捉われる事は、意味のある事ではないが、水彩という素材を愛し、その素材と自分の表現を親和するとする仲間が集まった。画商にも、副素材として見られがちな水彩の世界で良く作家の道を切り開いてきたと思う。

東京都美術館は、普通の人が絵を気軽に見に行く場に成っていない。足が遠のき勝ちかもしれない。しかし、今回の水彩人は、是非見ていただきたいと言える展示になっている。現代の不思議な社会の中で、ある意味、衰退過程にあるとも言える芸術分野が、平面芸術だろう。社会に与える影響と言う意味では、極めて力のない芸術分野となっている。しかし、制作者として、自己探求の方法、哲学の展開法としては、極めて興味深いものになっている。個々人の、埋没したような探求の結果が、むしろ、この時代層を表現している。是非とも、足を運んで見て欲しい。それだけの価値のある展覧会だと思う。私の出席日。5日、10日、12日、13日、14日です。

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