朝青龍の2場所出場停止処分
朝青龍がどうも仮病で、処分された。腰の骨が疲労骨折していたという報道には、まさかとビックリした。腰骨が折れていたら、相撲どころか立ち上がることが出来ない。仮病の立て方がまずい。今場所の優勝した相撲を見れば、そんなはずがないと誰でも思っていた。と言って、相撲は国技だから、横綱に『心・技・体』を求める。こうした論は好きに成れない。相撲は、日本古来からの芸能の一つだと考えたほうがいい。日本人の美学がこの芸能には集約されている。「そう言う事になっている」この辺の機微が大切なのだ。そうあって欲しい姿を、演じて欲しいとお願いしているのだから、言わないでもわかってくれないと困る。横綱は美しいとしたい、というのが、相撲びいきの気持ちだ。名横綱で強かった双葉山は時津風理事長になり、理事長として立派な組織を作り上げた。それは、栃錦春日の理事長も同様で、理想像だ。
古来相撲は神事だ。特に五穀豊穣を願って行われた。自然の圧倒的な力の前に、任せて祈るしかなかったことは、今も昔も変わらない。負け相撲にむしろ着目をしている。負けることの意味と価値を、そしてそこから学ぶ物をよくよく知っていた。江戸時代には、人気を博した一人相撲という芸能る。一人で二役を行い、上手投げ!とか見せるのだから、結構大変な芸だ。この一人相撲で一番の人気を博したのが、負け相撲だそうだ。見事な負け方、上手投げに投げられる方を主役に演じたのだそうだ。江戸時代の庶民の成熟度が分かる。無敵雷電が人格不充分で横綱になれなかった。とか言うのも江戸文化。朝青龍が巡業相撲をホッポリ出して、モンゴルでサッカーに興じるのもよし。腰の披露骨折なんか、普通人に言えるもんじゃない。何とかこの辺を納める者が、朝潮の高砂親方、むしろこの人が配慮がないだろう。
この大関朝潮は、インタビューが面白かった。近畿大学の2年連続学生横綱だ。いつまでも学生気分が抜けない。目立ちたがり屋とされて、強かった北ノ湖戦になると張り切った。それでまたよく勝った。そうなると、「僕が挿しに行ったら、むこうは・・・」ぼくがを学生風に連発するところが、面白すぎて、相撲協会から勝ってもしゃべらないように注意された。そんな親方だから、朝青龍の監督はちょっと無理だろう。朝青龍を育てたのは朝潮ではない。先代高砂だ。そういえば先代の葬式に朝青龍は出なかったというのでも怒られた。朝青龍にはともかくやめないで欲しい。仮病もいいけれど、横綱のやっていいめちゃくちゃの範囲を覚えて欲しい。否、誰か教えてあげて欲しい。K-1の朝青龍とか、もう曙の醜さで沢山だ。
注意を受けた横綱といえば、安倍総理大臣には末永く、総理大臣職を継続していただきたいものだ。赤木大臣が参議院選挙の責任を取って止めさせられた。あら、まあ、こっちに来るか。安倍総理の美学は、独特なものだ。「何ちゃんが悪イー」と泣き出した感じかな。確か、「美しい日本」を言われていた。美しいという精神状態は、日本人の場合、出処進退にかかわるのではなかったか。権力の座に未練たらしく居座り続ける輩を「美しくない」というのではなかったか。美しい日本云々などとのたまう人間が、美しいわけはないとは思っていたが、お粗末な結末だ。世界に日本人の醜さを晒していないか。アメリカにまで問責決議をされている。しっかりと謝罪するのが、総理大臣の日本人として潔い務めだ。しかし、何があろうと止めないで貰いたい。是非とも次の衆議院選挙まで、頑張っていただきたい。