迷走飛行
日本の社会が迷走飛行を続けている。ソフトランディング地点を模索して、速度を落とそうと考える人も居る。もう一度出力を上げて、さらに飛び続けようと主張する人もいる。一番困るのは、今の状況を、迷走状態であることに気付かない人だろう。システムのほうはこのままにしておいて、対応の方で何とかしようと、考える人だ。出力を上げるには、エンジンを変えなければならないし、速度を落とすとすれば、人間の対応能力を上げなければ成らない。何かを根本的に変えることは避けて、手直しで済まそうとする。これでは、問題を先送りしているうちに、ついに墜落と言う事になる。エンジンを変えようと考える人は、例えば、原子力エネルギーを利用しようとする。少々問題や危険があっても、新しい方法に切り替えて乗り切る方法を考える。私のように、早く、燃料を捨てて、軟着陸態勢に入るしかない、と考える者は、人間の性能の向上の方に、簡単に言えば、冷房機がなくても暮せるようにしようと考える。
人間は本性として、楽な方へ、楽な方へと傾いてゆくものだ。寒ければ、火が欲しい。我慢は出来るだけしないようにしてきた。その一番に姿が、アメリカの姿だ。石油文明だ。随分と私も恩恵を受けている。感謝しなければならない、しかし、その分随分堕落もさせられた。その堕落を立て直す為に辛い思いもした。その対極にあるのが、日本の江戸時代の姿だ。省力、辛抱の世界だ。確かに、これはこれで辛い。今更そんなことが出来るか、人間の本性として、当然の気持ちだ。苦労に戻る事は難しい。しかし、どうも人の幸せ観と言うものを考えると、そう言い切れるものでもない。この辺が難しい。お米を作ることは、大変な労力だ。熱い時の草取りなど、やれるものではない。売るほど作れば、そう言う事だけになる。でも自分の食べる分ぐらいだと、なんとか、楽しい運動ぐらいの範囲に収まる。
日本政府は温暖化対策で、大見得を切ったらしい。日本の省エネ技術を世界に提供してゆく、などと甘利経済産業大臣は自画自賛している。それでは、日本に先進的な、根本解決できるような、省エネルギー技術が存在していると考えているのか、是非聞かせてもらいたい。問題は、中国とアメリカだ。この2国のCO2排出に対し、どのようなに削減できる、省エネ技術が存在すると考えているのだろう。例えば、ハイブリット日本車の技術だろうか。それが世界中に普及して、排出量が2分の1に成るとする。そのころには間違いなく車の数は今の倍以上になっている。問題の根本は、車と言う交通手段の方にある。更に言えば、車を多用しなければ暮せないような暮らしの方にある。と私には思えるのだ。
先ず、自分が食べる物を、自分の手で作って見る事だ。思いの外、簡単にできるはずだ。日本は恵まれている。幾らでもいい水がある。そのお陰で、たいした苦労なく、食料の自給自足が可能だ。一日2時間の労働で、自分の食べる物はすべて確保できる。そこが出発だと思う。そうなると、後の時間は食べる為以外に使えるじゃないか。矛盾したことはしないで済む。厭な事もしないで済む。その時に不時着地点が見えてくる。と思っている。アメリカ的な石油消費社会が、世界モデルとして、進められてきたが、それがいかに馬鹿げたことであるかも、気付くことになる。クールビズとかいって、冷房温度を下げるそうだが、冷房などなくても暮せる事を、思い出して欲しい。