はしかの予防接種
大学生のはしかが、流行して大学が閉鎖になっているようだ。このことは健康と国の対策の推移が現れている。子供の頃はしかに感染した。「いのち定め」と言われたそうだ。はしかは通り抜けなければ成らない、赤ん坊の関門だった。「そのころは衛生状態が悪くて」と時に言われるような時代で、赤痢で死んでしまう子供も珍しくなかった。衛生だけでなく、栄養状態も悪かった。小学生になってからかかって、大きくなってからかかると大事になるからなど、言われていた。はしかのワクチンなど行われていなかった。ワクチンは、1960年ころから普及したようだ。ウイルスによる病気は、特効薬はない。対処療法だけだ。かかれば、その子供の体力によって乗り切るしかなかった。そこで、はしかで死ぬ子供もいた。私達の世代で、1000人ぐらいははしかを乗り越えられなかったのだろう。
はしかの予防接種が今になってさかんに言われている。ワクチンに予防を止めたら又「いのち定め」になると考えなければいけないのだろうか。小児死亡率の改善は目覚しい。今でも、子供が1割以上、10人に一人は死んでしまう国の方が多いい。工業先進国は0、6%程度のようだ。日本はこの点改善された。現在、予防接種を受けていない。大学生年代は1割ぐらいのようだ。ところが感染者を調べると、必ずしも、予防接種を受けていない人だけではない事が見えてきた。つまり弱毒化して作るワクチンは、万人に完全な免疫を造るわけでない。ところが、自然感染した人で、いのち定めを通り抜けた人は、完全な免疫を得ていた。この違いが、ワクチンで作られる免疫の性質なのだろう。
このことからも、「ワクチンを全員に義務付ければ、はしかは制圧できる」こうした考えが間違っている事がわかる。米国も、二回接種しないと小学校入学を認めない徹底した予防対策を進めた。しかし現実にははしかの患者は存在する。ワクチンの効果は10年位のようだ。にもかかわらず、ワクチンを受けさせない保護者を、反社会的な存在のように決め付ける考え方もある。受けさせないと言う事は、1万人の内の1人となって死ぬかもしれない。リスクを背負っている。又受けさせる親も、国も、100万分の1ぐらいの死のリスクを背負う事になる。健康を願い、わざわざワクチンをして死なせるのだから、少ないとはいえ、問題は存在する。でもそうした子供が、自然感染したときに死なないのかと言えば、たぶん危うい因子があったと考えられる。いずれ生き死にの、深刻な問題ではあるが、死は逃れられない問題である以上、人間は受け入れなくてはならない。
ワクチンの是非を、決め付ける事が良くないと思う。子供の状態により、親は判断すべきではないだろうか。この子供は自然感染しても、十分乗り切れると判断できる健康様態なら、自然感染も選べる。当然ワクチンを選択した方がリスクが少ない場合もある。但し、自然感染とは違うと言う事は、自覚して置くべきだろう。いのち定めを通過する事は、子供の必要な関門でもあったのだ。ないほうがいいのは確かだが、あった事に意味も存在する。人間も生物として、種の保存を考えた時、このままの、つまり弱い因子がいのち定めされないまま、混入して行った時。どこかで生物としての限界が来る可能性がある。大切な事はそのことを含めて、新たな医療法を、模索すべきだと思う。ウイルス性の感染症対策が、ワクチン頼りというところに問題があるのだろう。はしかに感染しても、リスク無く乗り切る方法が見つかれば、自然感染を選択できる。