農の会の宅配

   

昨夜は遅くまで、農の会の生産者会議があった。不定期に、必要に応じて開かれる。20人くらいが集まった。昨夜は農の会の活動と、宅配の活動の関係について話し合われた。ここは一番大事なところで、極端に言えば、設立以来話し合っているのかもしれない。農の会には、今年から、三つの主たる活動とされている「田んぼの会」「大豆の会」「お茶の会」がある。そして、昨日の集まりがあった「宅配(生産者)の会」この関係が難しい。昨夜も問題になったが、生産者即宅配による販売をしている訳ではない。全体としては、人が増えるに従い、農の会でのかかわりも多様になってくる。そして、宅配にだけかかわりたいと言う人も、登場する。ついにというか、当然の成り行きかもしれないが「宅配にだけ関わる事も良い。」と言う意見が出た。

農の会の設立主旨である「地場・旬・自給」この自給の精神とかけ離れていないだろうか。農の会の考え方と一致できるなら、と言うカッコつきで。農の会とのかかわりを販売だけに限定する生産者を受け入れる。農の会の構成人員がいくら多様であるとしても、さすがに、そこまで行くと成立しないと、わたしは思っている。農の会の設立主旨は自給であって、販売は補助的な活動だ。販売が主目的であるなら、純粋に販売目的の組織を作った方が、スッキリ分かりやすいと思う。そうした組織はいくらでもあるし、会社組織でそう言う事をやる方が、本道だろう。農の会の設立主旨は、あくまで市民農が、自給してゆくことになる。しかし、自給と言ってもその余剰が出る。その余剰を協力し合い販売する。これが主目的だった。

新規就農者を支援してゆくと言う事も、大切な事業だ。しかし、これはあくまで「支援」が農の会の範囲だと思う。自立できたところで、販売の形態は独立してゆく。これが健全な形ではないだろうか。独立後も協力できるところは協力してゆく。農の会に入っても生活できない。こういう意見があった。なるほど、農の会を就職先のように思う人もいる。危険なことだと思う。一方に、農の会に世話になっているわけではない。と言う反発心を感じる。「世話になっているのだから、農の会の仕事もしろ。」こう圧迫を受けているように感じるのかもしれない。この点は私の提案の仕方は注意が必要。農の会は、販売組織でない。農の会の主たる使命は「地場・旬・自給」で示される。市民的自給の支援だ。自給のために、田んぼをやりたいと言う人、自給のための野菜の生産の農地を捜す協力。多数でやることで、合理的に生産できる。味噌作りのような活動を行う。

一人ひとりの農家としての生計は、その人が模索する以外ない。大変困難な道だ。農の会のできることは、そのスタートの肩を押すぐらいではないだろうか。日本の農業政策が間違っているから、普通の人には農業経営が出来ない。いつもこの問題が背景にある。一定期間が経過したら、農の会から自立してゆく。こうした形が自由に選択できる方が、健全ではないだろうか。それが、角の立つような競争関係で無く。協力し合う良い関係も取れるはずだろう。依存関係がない事が重要だろう。その点農の会は微妙なバランスの上で、進んできた。この所新しい新規就農者は入っていないが、市民農的な参加者は、少しづつ増加している。時代の方向だと思う。市民農の仕組み、活動のあり方。これを模索してきた農の会だと思う。

 - あしがら農の会