大豆の会
2016/04/05
農の会の昨年より始まった、活動に大豆の会がある。現在、大豆畑の耕運畝立て、が進められている。今やっている作業は7月行う植え付けの為の準備作業だ。何故こんなに早く、やるのかと思うが。実は大豆畑が元は田んぼだったところで、田んぼに水が来るとそこの畑も水が入ってしまうのだ。本当のところは田んぼ以外には使いにくい畑なのだ。そこで、この畑をどうするか。返してしまおうか。何かいい使い方はないか。色々案が出た末に、田んぼの畦は大豆が良くできるから、この際大豆畑にしたらどうかと言う事になった。味噌、醤油は必需品だから、自給のためには、大豆生産ははずせない。畑でやるには、場所を選ぶのか、中々上手く行かないものだ。虫がついたり、倒れたり、結構気難しい作物のような気がしている。世間ではそうでもないようで、その辺の理由は良くわからない。田んぼの畦だけ沢山ある畑を作ろうというのだから、すごい。
大豆の会はNさんが担ってくれているが、的確に作業を連絡してくれる。これが結構大変な仕事なのだ。私にはとても出来ない事だ。農作業は計画性が重要だと思うが、案外その場しのぎになりがちだ。遅れ遅れながら、何とかこなしてゆく。場合によっては諦めてしまう事も出る。今あせっているのは、苗の植え付けだ。連休があけたらと思いながら、明日は、明日はやらなければとついついのびている。この困った気持ちを、何かしらに何十年持ち続けているような気がする。草取り、これも中々やりきると言う事が出来ない。今年は、野菜技術研修で指導を受けた。ネギ類は他の植物が根圏に入ると、生育を阻害されやすい。これだけはやってみようと、タマネギの周りは何度も草を抜いた。すると、ついにタマネギができた。普通の農家のようなタマネギができたのだ。集荷場でちょっと嬉しくて、タマネギの話をすると、今年はどこも当たり年らしい。
大豆の会は、種播きから味噌作りまで、生産の全てを行う。しかし、そのどの断面に参加しても構わない。もちろん、味噌作りだけに参加した人もいるし、大豆の栽培だけに参加した人もいる。しかし、驚く事に今やっているような、地味な畝立てだけに参加するという人もいる。でれる時に出たら、後の行事が日が合わなかったと言う事だろうか。Nさんがその全工程を担ってくれているので、何とか上手く進んでいる。本当にありがたいことだ。農の会的というものがあるとすれば、大豆の会ほど農の会的な活動はないだろう。たぶんこの活動は、やれそうで他の会には難しいに違いない。
食の全工程を全員で分担したいとする。この思想の重要性を農の会ほど模索してきた、グループはないと思う。体験農業という言葉があるが、田植えだけだったり、芋ほりだけだったりする。それもいいが。とは思わないのだ。本音で言えば、そうした体験はむしろ半可通を作る、おかしなことになりかねない。と考えている。もちろん今の農業は、工業生産と似ていて、全体的でない。部品だけ作るように、苗だけを生産する人がいたり、収穫だけを請け負う人がいたりする。しかし、自給的農業が目指すところは、その全体を担うことだろう。その負担や責任までも感じる事で、自分が暮す原点のようなものが、確認できるのだと思う。採れなければ、生きてゆけない。こうした深刻を背中に背負って、初めておもしろくなるのだと思う。農家なら当然な事だが、この精神を、家庭菜園に持ち込んだような素人主義が、農の会のやり方なのだろう。