国民投票法案の成立

   

11日参院憲法調査特別委員会で、憲法改定のための国民投票法案は可決された。憲法9条を改定して欲しくない人は、この法案を一般に問題ありとしている。何故だろうと、いろいろの方の例えば、日弁連の考え方など読んでみても、法案そのものの不備については、もう一つぴんと来ない。国民投票で、過半数が改定したいというなら、これは仕方がないことだろう。それが議会制民主主義のあり方だと思う。日本社会党が国民からの支持を失ったのは、何でも反対野党、という烙印を押されたためだ。憲法を改定する道筋を決める、これは当然必要な法案だ。もちろん、最高裁の判事の国民審査のように、空欄は賛成。こんな仕組みでは間が抜けている。空欄は罷免と決めれば、毎回全員が、交代となるだろう。

今回の国民投票法にそれほどの不備があるかというと、気に成るのは、世論の誘導と報道の関係。もう1つが投票率の問題。しかし、いずれも日本国民をそれなりの見識がある。と考えれば、問題はない。まさか投票率が、過半数以下と言う事はないはずだ。土台、民主主義というものは、構成員がまともな人間である、という前提で出来ている。構成員が愚かな者、例えば、刑務所にいる、受刑者には選挙権がない。これはおかしいというので、受刑者自治と言う事で、多数決で決める。という訳に行かないのが、民主主義だ。構成する人員を愚民化すると言う事がある。ヒットラーの登場と大衆操作ということが言われる。

人間はそうした愚かさにより、7度は生まれ変わらないとならないらしい。しかし、オーストリアが国民投票によってドイツと併合されたというような愚かさはもうどうしようもないことだと思う。日本国憲法を国民投票に登らせると言う事は、世界に日本の平和主義を、宣言する事になる。そうなれば、集団的自衛権の拡大解釈など、明確に否定できる事になる。
護憲を唱えつつ対米追従を批判する人がいますが、護憲と対米自立は同時に成り立ちません。「重武装・自立」か、「軽武装・依存」か。それが国際政治の常識です。宮台真司という人が書いている。憲法改定の要点はここだと思う。アメリカの世界戦略にどう対応するかが、問題なのだ。「軽武装・自立」が不可能かどうかの判断にかかっている。

日本がやや非常識な理想論を選択していることは、間違いない。しかし、理想を捨てていいのか。現実の利害だけで、国の未来を決めていいのか。軽武装・自立の道を探ってこなかった、日本政府の間違った選択はある。この間違った路線の上にたって見渡せば、軽武装・自立は不可能に見えるだろう。それを国際政治の常識だと思い込むだろう。しかし、その道が結局は戦争への道になることも、国際政治の常識なのだ。日本政府の行うべき事は、平和憲法の精神にのっとり、国際紛争を平和的手段によって、解決する努力だ。充分の努力をしたかといえば、明らかに努力が足りない。災害復興、医療支援、飢餓への援助、アメリカ軍を思いやるぐらいの費用をかけて、世界に向けて、平和主義をアピールする努力をすべきだ。
その第一歩が、国民投票によって、日本国憲法の平和の精神を、確認する作業だろう。

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