柏木美術鋳物研究所

   

小田原の中町に鋳造所がある。北条時代より続く、小田原鋳物の伝統を引き継ぐ、唯一の鋳造所だ。江戸時代に小田原鋳物は最盛期を迎え、夜中に起きて仕事にかかるために、各所の鋳物屋の炉に火が入り、まるで小田原全体が火事のように、夜空に明かりが映え、遠く大磯、平塚辺りから見えたそうだ。柏木家は山田家より鋳造所を引き継ぎ、柏木一郎(晴光)氏を中心に二郎氏、四郎氏、そして五郎氏と鋳造で活躍した。三郎氏は戦争で亡くなられたとの事。私の叔父草家人は、碌山美術館の鐘や幾つかの鋳造品をお願いに、柏木家に通っていた。叔父も音にはうるさい人だったが、たびたび伺って、大変満足した物ができたと、喜んで話していた事を覚えている。今でも、碌山美術館で売られている、小さな鐘は、柏木家で造っている。その原型は草家人が制作したものだ。

かよ子さんがピースカフェの取材で、お訪ねすると言う事で、私も付いて行った。なるほど、鳴り物の鋳造で際立っている事が良くわかった。仏壇に置かれる、鐘などもそれはその余韻が果てしなく続くかと思うほど、ゆらぎながら、たゆたってゆく。なるほど、小田原の音色だと思った。今この音色が、音楽セラピーの世界で注目されているという。一度聞いて見ると誰でも納得が行く、実に深い、又親しめる音色だ。こうした鐘の良さが簡単には伝わらないのは、当然の事で、直に鳴らして見ない限り、分からない良さだからだろう。例え美術工芸品としてデパートにあったとしても、ちょっと鳴らしてみる人は居ないだろう。禅堂でも、鐘は付き物だ。座禅の最中にも鐘は響く。今の時代、ヒーリングの世界で、使われるのもさもありなんと思う。気分転換に机の上のベルを軽く鳴らしてみるのは悪くない。

晴光氏のお造りになった。カニの話をお尋ねした。以前写真で見たことがあったからだ。それが生きたカニのように評判となって、鋳造の新しい世界を切り開いた。小さな桐箱を、もって来てくれた。それを開けると、何とその中にはクワガタ虫が1匹と一センチあまりのカニが2匹いた。その小さなカニは、まさに生き写しだ。この細い針のような足に、溶けた金属を流し込む技術。東京物理学校出身の一郎氏が開発した、圧縮を掛けた、鋳造法によって、細密的な鋳造が可能になったのだそうだ。ああこれは間違いなく小田原の美術だと思った。カニとクワガタがモデルである事が、すでに小田原的ではないだろうか。江戸であれば、たぶん蝉とかではなかろうか。くわえて、あしがらの農家の方には竹細工で、昆虫を作る方が時々いる。素朴にというようなものでなく、何か生きたように細密に作りたいという思いが、この地域にはあるようだ。

このただ一軒となった小田原の鋳物研究所は、小田原提灯や箱根細工よりも、あしがらの感性を反映しているような気がする。小田原の茶道具の伝統を色濃く反映させているのだろう。柏木美術鋳造所は、小田原地方の伝統的文化を深く反映しながら、そしてそれを発展させながら、ここまで道を引き継いできたと思う。しかし、この時代、茶道具の世界の縮小に伴い、苦戦を強いられている気がする。四郎さんのお孫さんの青年が、新たに鋳物研究所を引き継ぎ、五郎さんからも技術指導を受けながら、新たな伝統を形成されようとしています。砂張(さはり)と呼ばれる正倉院御物にも見られる、類希れな合金を、シンバルとして生かされた、五郎氏から伝えられる技術は、どんな新たな世界を展開されるのか。その音色が、いやしの音色として、小田原の音色として、評価されてきている点は、どのように展開されていくのだろうか。

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