あしがらの農業の展望

   

経済財政諮問会議の答申から、思わず頭に血が上ってしまったが、日本の農業は可能性に満ちていると思っている。それは気候風土が農業に適しているからだ。先ず雨量が多い。そして、北海道、東北北部を除けば、温暖といえる気候。海に囲まれた島国である事。ここに、8千万人ぐらいの人口であれば、食べる物に不自由せず、暮して行ける地域だ。食べ物は、自給であれば価格という物がなくなる。商品経済の中で、考える事を止めるべきものだと考えている。世界全体の事ではあるが、昨日のお茶摘みのことから、考えて見る。昨日の9日は21グループ参加で、12日はもう少し多くなるだろう。グループも2人のところが多いいが、10人というところもあったので、3人平均として、130名ぐらいの参加となろうか。10年ほど前に始めた。1反5畝のお茶畑だ。一度は放棄されて、山に戻っていた畑だ。

2キロ生葉を摘むと1000円の会費になる。その内製茶代が半分以上。一日お茶摘をして、6キロから14キロのお茶摘をした。総量で180キロ。たぶん12日も180キロ。お茶に成ると、4分の1になって90キロになる。6キロ摘んだ人は1.2キロのお茶。3000円で毎月100グラムのお茶が飲めると言う事。作業は、お茶摘みと、年1回の草取りなどの作業に参加すること。このほか農地の地代が、3万円ぐらい。機械代、肥料代などが、かかって、誰かが利益を上げるのでなく、実費を参加者で分担する形で、こんな費用になる。
お茶以外、「田んぼの会」はお米。年1万円。月1回の作業。100キロのお米。が目標。「大豆の会」は味噌醤油。いずれも実費主義。つまり、自給したいという人が、最小限の費用と労働時間で、食料を手に入れる方法を提案してきた。野菜は50坪程度の庭で作るのが一番。あしがら地域に住む人であれば、誰でもが、この条件で、食料の自給自足は現在達成可能である。つまり、年間2万円程度の費用と週2日の食のための労働で、自給は可能。現実に私が20年以上実践してきたこと。農の会では、会としてこのことが誰にでも実現できるよう、協力し合っている。

こうした観点から考えるほうが、日本の将来の農業の展望ははるかに明るい。各家庭は、低価格で購入するか、借りられる300坪程度の菜園付き住宅に住む。出来ればこれもセルフビルドしたいがそれは又別。これは農地法、都市計画法を変えれば、可能な事だ。勤め先は低収入であっても、地域に点在するようにする。勤めがあっても週休2日なら、可能な農業だ。この自給農業を、楽しいものとして、受け入れられるかどうか。これは思想の問題だと思う。確かに厳しい選択になる。観念的にはともかく、日々の暮らしとして、これを日本の社会の中で実現する事は、極めて厳しい選択になる。

すでに社会が消費的な誘惑に満ちた、商品経済社会だ。同じ食べ物でも、極端なグルメ嗜好がイメージとして先行している。どうこの誘惑に打ち勝つか。政府の考える農業は、このグルメ競争に勝ちうる付加価値の付いた農産物を企業が作る事を考えている。このこと自体がすでに、食の思想という意味で、間違った選択だ。健全な食の思想から外れている。農薬を多投入しなければ出来ない、糖度の高い果物。薬を使わなければ、生きられないような家畜。そんな妙な方向を先鋭化することは、「美しい国」とは程遠い事に成るに違いない。基本的な食を、健全に自給する国、人。それこそが美しい国の本質ではないだろうか。

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