アメリカの路上生活者は75万4千人
アメリカで初めて全国的調査をして、その結果路上生活者の人口が、推計で75万4000人に上ることがわかった。 厚生労働省の調査では日本のホームレスは約2万5300人。報道ではアメリカには30倍の路上生活している人が居る、と出ていたが、書き方が悪い。ただ、30倍してどうするの。この数だと、小田原に40人。実態はもう少し多いそうだ。100人に近いかもしれない。それにしてもアメリカ並だと、小田原に500人の人が公園や路上でで暮している事になる。報道と言うのは、何を考えているのか、不思議な物だ。各紙が同じように書いているところを見ると、30倍と書いた種ネタがあるのだろう。実態、5倍と考えたほうがいい。5倍でもすごい数だ。世界一豊かな国の実態。豊かと言う事が、必ずしも美しくはない、と言う実証。世界一幸せに暮らすという、ニューギニア高地人は、みんな一緒の暮らしだ。
日本は、そのアメリカのちょっとちゃちな国を目指して、まっしぐら。貧富の差が何故、戦後減少傾向にあったのか。高度成長期で労働者需要が急増し、労賃が急騰した。これもある。もう一つが、農村と言うものの、吸収力。許容力。何と言うのだろう。矛盾を覆い隠してしまった力とでも言うのだろうか。例えば、出稼ぎ労働は典型。都会に来れば劣悪な、飯場暮らし。田舎に帰れば、都会生活者より豊かな住環境。田舎は、農村は労働力の調整弁になった。どんなに劣悪な労働環境であろうと耐えた。その結果、収入は増加した。しかし、調整弁としての農村も変わった。農村に生活の基盤を持つ労働人口は急減した。農村はその維持に、農村自体の持つ経済力で、自立する事になった。仕送りが支えていると言う感じもしないが。お年寄りが耐えていると言う方が実態に近い。そして、当然の貧富の差の拡大が始まる。格差社会の到来。
近親者による子供の虐待。解決の見えないいじめの常在化。自殺者3万を超えた社会。これらの問題の根本原因は「格差社会」。この問題は社会の構造に由来する、基本的な仕組みだから、根が深い。簡単な解決法などない。日本はアジア各国に先駆けて、経済優先社会に邁進してきた。高度成長の過程では、見えなくなっていた矛盾が、いよいよ表に出てきたと言う事だろう。韓国の儒教精神は経済主義に抵抗できるのだろうか。このまま、小田原に500人の路上生活で暮す人が、現れざる得ないと考えておいたほうがいい。これがアメリカならまだいい。キリスト教社会だから、奉仕活動が広く普及していて、何とか救済されているようだ。日本のような宗教心の乏しい国で、こうした状況に進んだとき。もっと、もっと困難な悲惨な社会になってしまうだろう。
方向の転換、軟着陸地点の発見。正直、社会全体の事を考えて見ても、手に余る。今回の地方選挙は東京は石原氏の再選。社会が行き詰ると、強いものに期待する。ヒットラー期待。そんな選択で間違ってきたのは、歴史を見れば明らかな事。上からの力を期待するのでは、より悪くなる。下からの力を尊重する政治を作り出さなくては。ちょっと期待できる流れが、二宮のネットの村田さんの当選。県西地区も少し、住民の力が動き出している。この勢いで、小田原でも佐々木さんに期待する。
自分の暮しの周辺のことを、少し変える。たんぼを5畝増やす。草刈を100メートル増やす。間伐を100坪やる。焼け石に水。そのくらいは解っているが、でもこの、焼け石の水撒きを、続けている仲間はいる。