麹の仕込み
2016/04/05
昨日は早朝より麹の仕込だった。中原さんが実によく準備と手順を考えてくれてあった。だから、11時には時間通り終わった。順調に、発酵が進んでいる。少し麹の甘いにおいがしてきている。麹は猫のおりの中で、ふつふつと菌糸を延ばしている。ネコが6匹いると、猫小屋に人のほうが仮住まいさせてもらっているようになる。猫の布団に寝せてもらっている具合で、下手に寝返りなどすると、鋭い爪で、ギャッと起こさせれる。そんな状態だから、なんでもネコが触れないようにしておかないとならない。麹の温かい発酵床などはまさにネコの一番好きなところだ。どう隔離するかいつも悩む。電気で保温するので、電気のないところも困るし、寒いところでは、これも困る。と言う事で、もめた末にネコにはネコで対抗と言う事で、ネコのゲージに入れることにした。今の猫どもは周りをうろついている。
今回の麹作りは、小宮さんの旭ブルーベリー園でやらせてもらった。5つのかまどを用意した。これを並べて、ガンガン薪を炊いた。私は趣味が焚き火だから、燃やすのは自身もあるし、熱心だ。だから、5つとも管理したいぐらいなのだが、大釜のかまどの火付けだけを担当した。こういう作業になると、カマド奉行ではないが、みんな一家言があって自分流がある。農の会の参加者はみんな他の地域の行事などでは、こうした作業を頼まれる方だろう。だから、私と同じで自信満々で自分流を主張する。いつの間にか、大釜の火も担当をはずされてしまい、手が出せない状態で、残念だった。お米を順次せいろで蒸してゆくのだが、それが8せいろ。4カマドに2段。下の段でほぼ1時間蒸したお米は柔らかくなる事はない。硬くても芯がなくなればいい。火が強かったので、実にいい状態に蒸されたと思う。
5つのカマドに火があるのだから、寒いことはないし、薄日も指すいい日和だ。小宮園のすばらしい環境で火を燃やしていると、昔ここで、縄文人も火を燃やし、この景色を眺め、のんびり暮していた。その事が肌で直に感じられる。人間の進歩と言うのは何なんだろうと思う。ここで出土した土偶を見れば、彼らの方がづっと芸術的な感性をしていることがわかる。すっかり眺めを壊している、第一生命もビルもないし。この自然をどういう美しさと感じていたのだろう。文化というものは変化はあっても、進歩はない。やはり麹を作り、造ったどぶろくの出来が良いの悪いの。こぼしながら、楽しみながら暮していたに違いない。
味噌作りに参加する人は、他の行事に参加する人達と若干違う、もちろん重なる人も多いいのだが、他の行事には出ない人が居る。。田んぼに参加する人達もそうで、田んぼだけに参加する人が多い。そこがいいと思う。農の会の生産者の人は味噌作りにあまり参加しない。夫々が、自分の所で作るほうが、都合がいいという事もあるらしい。又大釜に、豆を混ぜて煮込むのが出来ないと言う事もある。今度の大釜の大豆は、更に味噌を美味しくするはずだ。夫々が作るものより、みんなが集まり、大釜で造ると言う事で、更においしくなると言う合理性が出来るのでないか。大豆作りも、一人でやるよりみんなでやるから、うまく作れるし、楽だ。味噌作りもそんな作業になって欲しいと思っている。そうして人の集まる、合理的理由が出来る事が大事だ。その集まりの中から、自然に方向が出てくることが一番いい。