里地里山づくり
昨夜は遅くまで、久野の里山について話した。プチピースカフェの「環境のつどい」として私の家で集まった。13名の人が集まった。舟原の地域の方も二人参加してくれて、内容のある良い集まりになったと思う。この集まりが里地里山の第一歩になるように思った。その時口々にいわれていたのは、結局は人しだいと言う事。昨夜の集まりが内容が深くなったのは、多様な活動をされてきた人がいた。やはり今のような社会環境のなかで、環境活動を続けてくるのは、普通の努力ではない。人間的な魅力も大きい。
桑原の農村環境の保全活動を支えてきた高橋さん。この活動の体験を聞かせていただいたのは、今回の成果だったと思う。結局は沖津さんといわれる一人の人が、どうしても子供の頃からの自然を守りたいと言う強い思いに、多くの人が出会って行った。そして長い年月をかけた、調査の継続。将来の展望がない中で、地道な活動を続ける辛さはあるが、その事こそ人を動かす物だろう。そして、2001年になってのメダカの希少生物の指定で、局面が変わる。地域の大半の人はメダカに対しては、冷たかった。農村環境の保全より、地域の開発。それでも、どうしても守ろうと言う一人の人の気持ちの方が強かった。と言う事らしい。
その個人の活動を、行政を動かし、全体をコウディネイトしてゆく。手がけたのが、山田純さんだった。昨日は山田さんから貴重なアドバイスを山ほどもらえた。最近忙しい山田さんとはゆっくり話もしていなかったが、こういう人に地域に戻ってもらわなければならない。日本森林会議の事務局長をされてから、地域の事にはかかわって貰えない。行政には行政の事情や仕組みがあるようで、これを熟知した上で、動かなければ行政との協働の仕方は開けてこないだろう。メダカと言うものを活動の中心に据えた着眼点。メダカがこの地域で将来どんな物になって行くかの予測。メダカの学問的位置づけ。そう言えば、何度も専門家を呼んでシンポジュームを行った。
その意味で、今回集まりに県に勤めていた、Sさんが来てくれた事はありがたかった。県がここで何をしようとしているのか。どんな気持ちを持っているのか。どうしても良く見えなかった事が、大分理解できた。Sさんは現在自分の農家を成り立たせる為に奮闘されている。このことでお誘いしたのではなかったが、自ら出向いてくれた。お陰で県の農政畑の考え方が、少し見えてきた。ストーリの描き方と言う話が、面白かった。どうもまだ行政では、そこが出来てないようだ。今のままでは何度集まっても形式的なことに終わりそうだ。今回の里地里山構想には、久野の未来がかかっている。今回の集まりだって、全体から見れば、何のための集まりだかまだ見えないだろうが。各自の思いを高め、煮詰めてゆく事には大いに役立ったと思う。
地域の、MさんとUさんも来てくれた。それが、すでに実際的に活動を始めている。こうした潜在している里地里山活動を、顕著化して大きな方向のストーリーに書き込んでゆくこと。そしてその意味をきちっと思想化する。何故、農業が必要なのか。食料安全保障や農業の環境調整力だけではダメだ。農業には人間の生きる本質的な価値が存在する。この点をいつも思い出しておく必要がある。