久野公民館の登記

   

昨夜、横浜から岩橋弁護士が見えた。久野の公民館の登記が終わり、その報告とお礼の集まりがあった。星野連合自治会長のご苦労で、このことが実現した。それはかいつまんで書いたとしても、長くなりそうだ。でもなるほどと言う事なので、少し書いておきたい。

久野の公民館は210坪の土地に、鉄筋の2階建ての建物が建っている。そもそもこうした地域の公民館が、公共の物という訳でないことすら知られていないかもしれない。今アトリエにしている建物があったところはその昔、地域の青年集会場があったところだそうだ。内容は良く分からないが、個人の家ではなかった。しかし、所有者は個人だったようだ。それが売買が重ねられてきた。

公民館は各部落にある、この問題の公民館は地区公民館より一段上の久野全体の公民館だ。この敷地が昭和7年に個人の所有者から、自治会で購入したそうだ。当時の価格で、額面200円。昭和初期は金融恐慌の時代で、久野でも土地の売買はかなりあったのだそうだ。この土地も登記簿を調べると、その売主は足柄下郡郡役所から購入し、更に転売したようだ。役所から直接購入が何故出来なかったのかは良く分からない。競売でもあったのかもしれない。現在、公示表価額で5200万だそうだ。

その所有者が公民館に売る約束がすでにあって、競売を落としたと言う事もあったかもしれない。いずれにしても公民館用地にしようとしたが、登記が法人ではない自治会と言うものでは、不可能だった。そこで当時の、周辺三つの自治会の役員たぶん自治会長の名前で、登記が行われた。但しその3人に対しては、別途公民館用地である旨の契約を行った。

そのうちの一名の方のお宅の、21歳の長男の方が昭和5年にカナダに移民されている。そして戦争もあって音信不通になった。昭和19年には当主の元自治会長がなくなる。すると当時の法律では、長男が家督相続をすると言う事になるが、戦時中で収容所にいたそうで、連絡も取れない。そのまま二男さんが家を継ぐが、相続についてはそのままにされていた。昭和44年に至って、その二男さんも亡くなられ、権利関係を整理するに当たり、法廷で判決をもらい登記を変更する。

しかし、その際も公民館用地については、そのままに継続される。その為に他の2名の方もそのままの形で過ぎる。歴代の連合自治会長は外国に行かれた、相続人の権利の整理と言う事が、不可能に思われ、整理できず悩ましい課題として今に至る。しかし、星野さんが連合自治会長になられると、何とか整理をしようと、ダック事件でお世話になった岩橋弁護士に相談する。

先ず、外務省で在外日本人の居住調査で6人の相続人の発見。これはすごい事だ。どなたもカナダ人で、日本語は分からない。幸いの事に、星野さんのご息女が英語が堪能で、交渉に当る。メールでやり取りを行う。これが問題の解決を可能にする。6名の相続者においても、全く状況も分からず。すでに高齢。最終的に、裁判の処理を行い。全員の証明を頂き、めでたく三つの自治会での登記が出来る事になる。

2つの事が興味深かった。当時自治会長をされるような、久野の有力農家の長男が、21歳で雄飛カナダに移民しよう、と言う人がいたと言う当時の社会の機運。満州に渡った人は、近所にも結構いた。そんな話もでた。もう一つは自治会と言うものの日本的曖昧さ。今でもそうだが、この組織は、行政の下請け機関であるのか。地域の自治の集まりなのか。その決定の仕組みは。存在の意味は。いかにも不可思議な存在でありながら、大きな役割を担っている。

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